さて、いよいよ マルガレーテ・ブーバー=ノイマンの登場です。

 

戦りつを覚えるナチの強制収容所のただ中 で,これら女性のエホバの証人たちはどのよ うにしてもちこたえることができたのでしょうか。 その信仰はどのような影響を受けましたか。 マルガレーテ・ブーバー著,「二人の独裁者 の下で」(1949 年)の中に,目撃者の語った 情報が収められています。

(ものみの塔81/9/15より)

 

ここで著者の姓について説明を加えましょう。

マルガレーテは1901年生まれ、結婚前の姓はチューリングでした。1922年にラファエル・ブーバー(有名な宗教哲学者の息子)と結婚し、やがて別居、1929年に離婚。そしてハインツ・ノイマン(ドイツ共産党指導者のひとり)と事実上の夫婦となり、1937年に彼がモスクワで逮捕されるまで生活を共にしました。「ブーバー=ノイマン」という姓は、マルガレーテの2人の夫の姓なのです。

 

夫人は、かつて愛した男性二人の姓を並べて、ブーバー=ノイマンと名乗っているのであるが、夫人の友人によれば、戦後にもある詩人との間に恋の炎を燃やしたらしい。

(『ミレナへの手紙』訳者あとがきより)

 

こうした華やかな男性経歴からも、著者が魅力的な女性だったことが察せられます。

なお、ソ連の収容所からナチスドイツに引き渡された際には「マルガレーテ・ブーバー」と名乗り、係員から「お前はハインツ・ノイマンの嫁じゃないか!」と問われて、こう答えるシーンがあります。

 

『私の本名は、マルガレーテ・ブーバーで、ノイマンとは正式に結婚していません』。──『なるほど、では、やつの情婦か!』──『そう呼びたければ、お好きなように』。

(『スターリンとヒットラーの軛のもとで』p.190)

 

その後、ドイツの強制収容所での点呼でも「マルガレーテ・ブーバー」と名乗っていたので、ものみの塔が「マルガレーテ・ブーバー」と書くのは間違いではないと思いますが、下記に至っては大変よろしくない。

 

ブーバー夫妻は1930 年初期に,ドイツ共産 党の有力な党員でした。モスクワに出頭を命 じられた後,夫妻は「政治路線を逸脱した」と の理由で逮捕され…(中略)…マルガレーテ・ ブーバーはシベリアの収容所に送られまし た。そして後に,ナチの手に渡され,悪名高 い女性だけのラベンスブリュック強制収容所 で 5 年を過ごしました。

(ものみの塔81/9/15より)

 

ここは、ブーバー夫妻ではなくノイマン夫妻です。どうしてこんな失礼な間違いをするのかわかりませんが。

 

マルガレーテ・ブーバーの著書には,エホバ の証人ではない一政治犯の目撃した実際の 記録が収められています。…(中略)…次の記事 は,その本の一部をマルガレーテ・ブーバー 自身の言葉で,同女史の承諾の下に要約し たものです。

(ものみの塔81/9/15より)

 

というわけで、次回は(やっと)肝心の内容紹介にまいります。