マルガレーテ・ブーバー=ノイマン著『スターリンとヒットラーの軛のもとで』(林晶訳、ミネルヴァ書房)は、1948年にまずスウェーデン語とドイツ語で出版され、1949年にダイジェスト版の形で英語に翻訳されました(「訳者あとがき」より)。邦訳は2008年刊です。
同書を引用したものみの塔1981年9月15日号の記事は、1949年の英訳をもとに書かれ、さらに日本語に訳したものでしょう。
この記事では、同書の「要約」がA4で6ページにもわたり、丹念に紹介されています。もちろん、ものみの塔にとって重要と思われる部分を抜き出し、不要な部分は削除し、とくに必要と思われる部分に注釈等を加えてあります。興味深いのは、どこを省略し、なおかつ、どこを盛ったかです。
まず、マルガレーテとJW姉妹たちが収容されたラーヴェンスブリュック強制収容所の日常がつづられます。そこは、この世の地獄でした。別の資料では「囚人として記録がのこっているだけで、13万3000人がここの門をくぐり、そのうち約9万2000人が飢餓、強制労働、チフスをはじめさまざまな病気、拷問、ガス室送りなどで殺されている」とあります(『母と子のナチ強制収容所──回想ラーフェンスブリュック』訳者あとがきより)。
囚人たちが自分の運命とあきらめて,収容所内での生活に適応するように なるまでには,性格によって何週間,何か月, あるいは何年もかかる。囚人の性格が変わ ってしまうのはこの時期である。外の世界や 他の囚人に対する関心が次第に薄れていく のである。
(ものみの塔81/9/15より)
囚人という現実を受け入れ、収容所生活に適応するまで、数ヶ月、あるいは大多数の者にとっては数年を要した。そして適応するこの過程で人間の性格がすっかり変貌していた。周囲の世界や他人の苦しみに対する関心がますます薄れ、衝撃的な出来事への反応も、その強度を失い、そして長続きしなかった。
(『スターリンとヒットラーの軛のもとで』p.243)
著者マルガレーテ自身も、収容所生活が陰惨を極めた1944年には、「瀕死の患者たちが苦しそうにあえぎながら横たわっていた」ところを、「なにも見たくない、聞きたくないといった思いだけで、彼女たちのあいだを書き分けながら通り過ぎていた」と告白しています。
私は苦しみほど,それも強制収容所内の男 女に加えられるような侮辱を伴う過度の苦し みほど,人間を堕落させるものはないと思う。 親衛隊員にぶたれてもぶち返すことはでき ない。親衛隊員が威張りちらし,侮辱を加え る時でも,口を堅く閉ざし,言葉を返しては ならないのである。囚人はすべての人権― 一つの例外もなく,まさしくすべての人権を 失ったのである。
(ものみの塔81/9/15より)
苦しみによって人間は清められ、崇高な存在となる、とキリスト教は教えている。しかし強制収容所の生活は、その逆を証明していた。苦しみ、過度の苦しみほど危険なものはない、とわたしは考えている。
…(中略)…わたしたちは囚人であり、怒鳴り返すことも、殴り返すこともできなかった。わたしたちに人権など一切なかった。
(『スターリンとヒットラーの軛のもとで』p.243下)
そうした状況で監禁されるなか、まれに人間的魅力を保っている囚人もいたとはいえ、大部分の囚人たちはすさみ、「やられたことを自分たちの囚人仲間にやり返して」いました。
私が言うのは,収容所内で何らかの地位を 持ち,自分に任された者たちを虐待すること ができた囚人のことではなく,普通の女囚た ちのことである。もしだれかがほんの少し多く の食物,ほんの少し厚めの切れのパン,ほ んの少し多くのマーガリンやソーセージを取 ったように思えでもしたなら,そのことを怒り 憤慨する不愉快な光景がたちまちのうちに 出現する。
(ものみの塔81/9/15より)
ブロック長や部屋長といった残虐な上役ではなく、いま、わたしが言っているのは、「一般」の囚人たちのことだ。ねたみや嫉妬の応酬があり、パンの耳や、マーガリンと腸詰のわずかに大きいひとかけらを巡って、憎しみの爆発や報復を誓う言葉の応酬がはじまった。
(『スターリンとヒットラーの軛のもとで』p.243下)
毎朝の起床から整列点呼までの間には、狭い空間に何百人もの女たちがごった返して押し合いへしあいし、激しい言い争いも絶えませんでした。洗顔・身支度・整頓・「朝食」を、45分で既定どおり済ませるためです。
それを,一つのバラックの中で 100 人の女が しようとして走り回るのであるから,その有様 は想像に難くないと思う。それも口汚くのの しり合いながらするのである。 [以上はこの本の著者がラベンスブリュックで 経験した生活の描写の一部です。しかしそ の後,著者は聖書研究者たちが収容されて いた第 3 ブロックの最上級者に任命されまし た。]
(ものみの塔81/9/15より)
ここまで、強制収容所は陰惨な場所で、そこで暮らす囚人たちはすさみ、いさかいがたえなかったと述べてきましたが、しかし、それは一般の囚人たちのことであって、JWは違うというわけです。
実際、マルガレーテもそう書いてはいるのですが、わざわざ[注釈]をつけるところにものみの塔のこだわりを感じます。
では次に、JWがどんなに「模範的な囚人」であったかを見ていきましょう。