ものみの塔記事からはそれますが、ヘスの回想録から引用を続けます。
ヘスの回想録には、さらに文庫本で7ページ分ほど、JWについて書かれています。これはJWが「狂信的」であったことを記述したもので、ものみの塔には採用されるわけもありません。
当時、ザクセンハウゼンには、たくさんの聖書研究会のメンバーたちがいた。……私は、すでに多くの宗教的狂信者を……見識っていた。……ところが、ザクセンハウゼンの聖書研究会のメンバー、とくにその中の二人は、これまで体験したどれをもしのぐほどだった。
(『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、p.179)
この二人は、徹底的に軍隊に関することを拒否したそうです。「気を付け!」「脱帽」なども、エホバ以外に示す態度ではないとして拒否。自分が信念に沿って行動するだけではなく、信者仲間にも圧力をかけました。
彼らは、たえず他の聖書研究員たちにも同じ態度をとるように強いるので、聖書研究会員たちのブロックから引きはなして、独房にいれねばならなかった。
(同前、p.179)
ここまではさほど驚く話ではありませんが、この先は、私もちょっとどう読んだらいいのかわからないですが…引用します。
彼らが規律違反の態度をとるので、何度も、鞭打ち刑を科した。しかし、彼らが一種熱狂的な態度で鞭打ちを受けるので、ほとんど、性的倒錯の傾向があるのではないか、と考えられるほどだった。彼らは、彼らの理念とエホバをいっそう明らかにするために、もっと打ってくれと、所長に嘆願する始末なのだ。…(中略)…ヒムラーは、死刑を命じた。
拘禁室でそのことを伝えられると、彼らは、喜びで有頂天になってしまった。死刑執行の直前まで、そのことは全く予期していなかったのだろう。二人は、手をよじり、恍惚として天を仰ぎながら、ひっきりなしに叫ぶのだ。
「われらは、間もなくエホバの御許にまいります。おお、何たるしあわせ、われらがそのために選ばれるとは!」
…(中略)…
聖書研究会員たちは、彼らの信仰仲間たちの殉教で、エホバの証しとしての彼らの信仰にいっそう憑かれたようになった。多くの者は、自由の身となるための一助にと、すでに(信仰放棄の証書に)署名していたのだが、彼らは、それを撤回し、すすんでエホバのために苦難を受けようと望むようになった。
(同前、p.180‐181)
さすがのヘスも引いているのか(盛っているのか?)とも思える記述ですが、そうは言っても、彼らはもともとまっとうな人間だったと続きます。
聖書研究会員そのものは、日常生活では、男女ともに、おだやかで、勤勉な、人づきあいのよい、喜んで人助けをするような人びとだった。大方は手職人だったが、東プロイセンの農民も多かった。
(同前、p.181)
こうした勤勉で無害な人びとが、ヘスによれば下記のように盲信状態になっていたそうです。
たしかに、抑留中の聖書研究会員は、国際聖書研究者連盟のメンバーだった。しかし、その連盟の組織について、彼らは実際に何も知らなかった。ただ彼らに文書をくばったり、集会をもよおしたり、聖書の時間をもうけたりする役員たちが、そのことを彼らに教えたのだ。彼らは、自分たちの狂信的な信仰が、どんな政治的目的に利用されるのか、何も知らなかった。
そのことで非難されても彼らは笑うだけだった。彼らには、そのことが理解できなかったのだ。彼らは、ただ、エホバの呼びかけに従い、それに忠実でなければならなかった。……それは、すべて、まことの真実であって、そこには、詭弁は一切存在しない。エホバとその教えのために苦難をうけること、死にさえも赴くこと、それは、彼らにとって、願わしいことなのだ。
(同前、p.182)
彼らの間には、いまのJW会衆にもみられる「兄弟愛」がありました。そして「愛」と表裏一体の圧力も。
彼らは、耐えがたいほどのこともすすんで身に負い、兄弟のような隣人愛で、感動的なほどに周囲をいたわり、ちょっとでもできることがあれば、互いに助け合った。
もちろん、聖書研究会員が、、自発的に「誓約」を申し出た例は多数ある。……(中略)…こうした変節者は、エホバからの離反のために、その「同信者」たちから苦しめられた。そして、多くの者、ことに女性は、良心の呵責からこの署名誓約書を撤回した。たえまなくしかけられる道徳的圧迫が、あまりに強かったからだ。(同前、p.183)*
こうしたJWの結束(?)や信念(?)の強さは、ナチスの高官として悪名高いヒムラーらも、感心するほどでした。
聖書研究会員にその教義や聖書中の矛盾を指摘しても、彼らは、あっさりと、こう答えるだけだった。要するにそれは、人びとが人間の目で見ているからだけのことで、エホバには矛盾などというものはない、エホバとその教えとは完全無欠である、と。
いろいろな機会に、ヒムラーとアイケは、聖書研究会員のこうした信仰の熱狂性を、くり返し見習うべきものと賞揚した。聖書研究会員がエホバに不動の信仰をよせるのとまったく同じように、熱狂的に、SS(注:ナチス親衛隊)隊員はナチズムの理念とアドルフ・ヒトラーを信じねばならぬ、というのである。
全SS隊員が、その世界観の熱狂的な信奉者となった暁には、アドルフ・ヒトラーの国家は永遠に安泰であるだろう。自らの自我を理念のために完全に放棄することを欲する熱狂者によってのみ、一つの世界観は支えられ、永遠に維持されるのである、と。
(同前、p.184)
言ってみれば、JWの信仰態度はナチスの模範。これはJWにとって賛辞なのでしょうか…? ものみの塔記事に引用されていないところを見ると、あまり賛辞とは受け止められなかったものと思われます。
*7/10追記
エホバの証人を辞めます、という宣誓書にひとたび署名しても、仲間からの圧力で撤回する例が多かった…という話。ものみの塔側のこんな経験談もありました。
エホバの証人は,自分の信仰を捨てるという宣言書に署名すれば解放されて家に戻れる,と何度も言われました。ラベンスブリュックに来て1年が過ぎ,私はすっかり気がくじけてしまいました。夫と娘に会いたいという気持ちを抑えられなくなって,看守のもとに行き,もはや聖書研究者ではないことを宣言する用紙をもらい,それに署名しました。
姉妹たちの中には,そのことを知って私を避けるようになった人もいました。しかし,ヘートヴィヒとゲルトルートという二人の年配のドイツ人の姉妹が私を探し出して,私を愛していることを伝えてくれました。姉妹たちは,豚小屋で一緒に働きながら,エホバへの忠誠を保つことがいかに重要か,また妥協しないことによってどのように神への愛を表わせるかについて親切に説明してくれました。その母親のような関心と優しい愛情に強く心を動かされました。* 自分のしたことが間違いだと分かっており,宣言を取り消したいと思いました。ある晩,一人の姉妹に,自分のした宣言を取り消すという決意を話しました。
この証人は、署名を撤回する前に突然解放され,家に帰されましたが、JW活動を再開したそうです。ヘスは強制収容所の所長として「彼らは看視なしでも逃亡せず、よく働いた」と、JW囚人は管理が楽だったことを強調しています。「労働はエホバの掟だからである」と。エホバのもとから逃れても、また戻るというその行動も、ヘスの観察した彼らの姿とつながっている気がします。JWのよく言う、従順な羊とはまさにこういう感じなのだろうと思いました。