元JWの友人たちと話していたとき、「親きょうだいがあのような組織にいて、悪しき教えを広める業に貢献していることをどう受け止めたものか」という話題が出ました。

 

私個人は、未信者父が亡くなったあたりから自分のJW母兄姉は他人だと思うようになり、彼らへの関心は年月とともに薄れる一方です。彼らがしているであろうことに思いを馳せると、いささか気がめいりますが、私がどうにかできることではないし。まあ、そういう生き方もあるのかもしれないし。そういう生き方がよしとされる共同体もあるらしいし。

 

しかし「身内がそのようなものである」「血を分けた肉親がそのようなものである」ということの重圧は、ずっと感じてきました。友人が言ったような倫理的な問いのほかに、社会生活での不便や不都合、プライベートな交友関係で感じるへだたり、そのようなものと同じ血を継いでいる自分への恐怖、など。もしかしたら気苦労であった部分もあるかもしれないけれど、ともかくもそれらは「宿命」として自分にのしかかっていると感じてきました。

 

ちょっと前に読んだ『それでも私は父を愛さざるをえないのです―『シンドラーのリスト』に出てくる強制収容所司令官の娘、モニカ・ゲートの人生』という本を思い出しました。

タイトルでほとんど察しがつくと思いますが、ナチの悪代官みたいな人物の娘モニカ・ゲートが、父がそういう人間であったことをどう受け止めるか…という本です。

彼女の父はアーモン・ゲートといい、強制収容所ほど規律が定まっていない「強制労働収容所」の所長で、自分の気まぐれのために大勢のユダヤ人を殺していたそうです。敗戦前に失脚しますが、戦後、戦犯として絞首刑になりました。

 

この本はインタビュー形式で、モニカ・ゲートが事実に向き合いたいと望みながら、目を背けたい気持ちも強く、葛藤するさまが浮き彫りにされています。読後の印象として、彼女は事実を受け入れることができたとはいいがたい感じでした。ただ、泥の中を這うようなモニカの苦悶、彼女がぜったいに認めたくないさまざま矛盾、大事に抱えている美しいイメージが心に残りました。

 

アーモン・ゲートとのあいだにモニカを生んだ母は華美を好む女性で、戦後はイギリス人将校と仲良くしたり、ゲイの美人と同居するなどして、経済的に余裕がないなかでも派手な生活を送り、モニカはあまり母から顧みられない少女時代だったようです。母はモニカよりも飼っていた犬のほうが大事なようでした。

 

モニカの精神的支えとなったのは同居していた祖母でした。この祖母はアーモン・ゲートについて「労働収容所の所長であって、悪名高い強制収容所の所長ではない」とモニカにいい聞かせ、彼の虐殺を矮小化して考えていたようです。

 

母はアーモン・ゲートを徹底して擁護し、「数人は殺したが残酷な虐殺者ではない」(矮小化)、「あのような収容所は遊園地ではないのです」(正当化)が持論でした。「美しい時代でした。アーモンは王、私は王妃でした」とすら語っていました。

モニカはまた、そのような母を擁護しました。母は『風と共に去りぬ』のヒロイン、スカーレット・オハラのように、レッド・バトラーのようにタフな紳士(アーモン)を夫とし、大勢の黒人奴隷(≒ユダヤ人)に慕われる農園の女主人を夢見ていたのだと。

 

 

モニカ・ゲートの娘ジェニファー・テーゲが書いた、『祖父はアーモン・ゲート: ナチ強制収容所所長の孫』という本もあります。こちらはまだ読んでいませんが、苦悶しながらも前向きな答えが出せているらしいです。これとあわせて、モニカの本もまた読んでみたいものです。