前にも書いたことがあるけれど、私が小学生になったかならないかのころに、会衆で排斥発表がありました。排斥されたのは幼なじみT君の母で長老の妻でした。
私はT君とはよく顔を合わせていましたが、不活発ぎみだったその母とはさほど交流がありませんでした。T君のアパートに行ったことも1,2回きりだったと思います。が、排斥の発表後に私の母から、T君の家にはもう行ってはいけない、道でT君母と会っても挨拶してはいけないときつく指示されました。子どもだった私は、怖い顔の母親に向かって納得のいく説明を求めることはできず、ただ「はい」と言うしかなかったけれど、なにかもやもやしたものが心に残りました。
やがて中学生になった私は、ハルマゲドンについて非常にこだわるようになり、このような神はおかしいという思いが頭を離れなくなり、JWを続けていられなくなりました。私がそうなった背景のひとつに、この忌避体験があったような気がしています。
JWにとって、排斥はハルマゲドンの予表なのだと私は考えます。
ハルマゲドンのあと、滅ぼされた人については思い出すことも悲しむこともしないと彼らはいいます。エホバのもとを離れ、霊的に死んだものと彼らがみなす人を、亡き者として考える予行演習という役割を、排斥忌避が担っているように思えてなりません。