「頭が固いという言葉があります。年齢とともに、脳が老化し、過去の経験やイメージにとらわれ、古い見方に固執し、新しいことや若者の判断基準を受け入れなくなることがあります。

 

頭が固いというのは、自分の考えに固執して、新しい情報や他人の意見を吸収できないことです。心が固いから外側からの刺激や変化をはね返してしまうのです。柔らかければ、スポンジが水を吸収するように、自分のなかにそれを取り入れていけます。

 

心が柔らかいと、吸収力があり、陶冶性 ( 自分の内面を発達させていく力 ) が高まります。年老いてますます円熟味が増すのです。

 

心が柔らかいというのは、どういうことでしょう。

 

まずは「清濁併せ呑む」「水清ければ魚棲まず」のように、反対のことを同時に理解できることです。清濁併せ呑んでも、それで自分が汚れてしまっては、汚濁にまみれることになります。「水清ければ魚棲まず」も真実ですが、かといって汚れた水にも魚は棲めません。

 

「蓮は汚泥より出でて、汚泥に染まらず」が必要となります。

 

心が柔らかいということは、相手の考えや思いを理解することです。相手のことは相手のこととして受け入れることです。自分がそれと異なる思いをもっていたとしてもです。

 

これは相手の考えに従うことではありません。相手がジャイアンツファンで、自分がタイガースファンであっても、相手がジャイアンツファンであることを理解するのです。自分もジャイアンツファンになることはないし、相手をタイガースファンにする必要もありません。ただ、ファンの気持ちをお互いに理解し合うのです。

 

自分は相手と考え方が異なるのに、相手の考えに従うと、自分がなくなります。自分の意志が抑圧されます。自分を抑圧してしまいますと、いつか爆発します。自分の心が干からびて、死んでしまいます。

 

内からの声、すなわち自分の考えを押し通しますと、非常識と批判されたり、つきあいが悪いと仲間はずれにされることもあります。逆に内からの声に反して、外からの声に従いすぎますと、むなしくなります。

 

ストレスがたまり、気持ちを表現できないと、身体がかわって表現します。これはストレスが身体に出た症状なのです。疲れすぎますとうつ的になります。

 

ストレスは感情をなんらかの形で表現できないときに生じます。おしゃべり、スポーツ、運動、旅行、登山、温泉、カラオケ、俳句や短歌、小説を書く…、なんでもいいのですが、自分の感情のはけ口がありますと、ストレスは解消するのです。

 

おしゃべりとカラオケは、言語を通じての感情表現です。運動とスポーツは、身体を使っての感情表現です。ストレス解消法の上位に出現するカラオケや運動は、心理学の理にかなっているのです。」

 

東山紘久「プロカウンセラーのコミュニケーション術」から抜粋して引用

 

「心を柔らかく、上手にストレス解消する」

 

つまるところ とどのつまり

 

「己の欲するところに従って、則を超えず」

 

ホンマモンだと思います

 

ということで

 

よろしゅうに