「人と親密になるのを避けてしまう、一人の方が気楽、結婚や子どもをもつことに消極的、責任や束縛を嫌う、傷つくことに敏感、失敗を恐れる……。そういった特徴をもつ人が急増していると言われている。
その典型は、回避性パーソナリティと呼ばれるタイプである。
厳格すぎる親や過度に支配しすぎる親に育てられた子どもは、愛着が不安定になりやすく、しばしば回避型の愛着を示す。十分すぎるほど子どもの世話をしてきたと、親も周囲も思っているのにもかかわらずである。
このタイプは、親の意思が優先し、親の命ずるままにやらされてきた人たちである。
本来、安全基地として、子どもを支えてくれるはずの親が、子どものプライドや自信を傷つけ、足を引っ張ることもある。そうした場合には、親との関係を避けるしか、身を守る手立てがない。
親に対して回避型愛着を示すということは、過去の失望から、親に近づかないことがもっとも安全だということを学んだ結果とも言える。
忙しい母親にあまりかまわれることなく育った子どもは、回避型の愛着スタイルになることで、その状況に適応する。
回避型の人は、愚痴や不満も言わずに黙々と仕事に励み、任せられた仕事はきっちりこなすということが多いので、もっと負担を増やしてもなんとかやりこなしてくれるだろうとか、管理的な仕事もこなせるだろうと、上が勘違いしてしまうところもある。
実はそれまで、ぎりぎり一杯のところを、頑張って耐えていたにすぎないのだが、それを、まだ余裕があると誤解されてしまうのだ。
到底こなしきれない量の仕事を背負わされ、それでも弱音を吐くこともできず、歯を食いしばってしまう。しかし、いくら気持ちで乗り切ろうとしても限界がある。体の方が先に悲鳴を上げる。
回避に陥っている人の場合、傷ついた体験について語ることが、回復の一つ目のステップとして非常に重要である。
不満や怒り、絶望感といったものでも、まずそれを語り、自分が傷ついていることや、それをもたらした体験を想起して、それに向き合うことが、膠着した事態を動かすことにつながる。
もちろん、傷ついた体験を語ればそれで終わりというわけではない。ただ嘆き、絶望や悲しみを語るだけでは、真の回復は訪れない。
語るという作業を繰り返す中で、失敗と思っていたことにも、ポジティブな意味があったのだと思えるようになる。そのことが回復のカギを握っているのである。
だらだらとパソコンの画面を眺めたり、ケータイをいじる代わりに体を動かす、読書をする、文章を書く、人とリアルに関わるといったことに、もっと時間を使うようにする。
こうして、生活のリズムを整え、情報過負荷な状態をなくし、少し退屈なくらいの状態に自分をおく。それが、回避のワナから抜け出す一歩になる。
自分を縛ってきたものを、かなぐり捨てるためには、少しばかり攻撃的になる必要があるし、特に親から支配されてきたというケースでは、親に対して反発が出てくる必要がある。
回避型の人は、今の状況を変えたいが変えられないという膠着状態に陥りやすいが、外から手を引かれると、案外動けるものである。そんなときは、差しのべられた手に素直にすがってみよう。
動かず何も変わらないよりは、ずっと面白い人生が歩めるはずだ。」
岡田尊司「回避性愛着障害 絆が希薄な人たち」から抜粋して引用
僕も「回避性」の傾向があります(笑)
深刻な場合を除いて
誰だって同じだと思います
「あーでもない」「こーでもない」
自分の感情を素直に表現して
「おかげさま」「ありがたい」
そう思えれば大丈夫です
ということで
よろしゅうに