「人に気を遣いすぎて、疲れてしまう」「自分のことが嫌われていないか、過度に気にしてしまう」「何事にも過敏で傷つきやすい」といったことで苦しんでいる方はとても多い。
そういう傾向を持つ方は、自分が一生懸命人に気を遣い、サービスする心理の根底で、自分のことを実際よりも低く、つまらない存在と見なしていて、自己評価や自己肯定感が低いこともしばしばだ。
こうしたタイプの人の根底にしばしば認められるのが、「不安型愛着スタイル」である。
繊細で、共感性に優れ、サービス精神旺盛で、優しく、献身的な一面とともに、依存しやすかったり、攻撃を受けやすかったり、利用や搾取をされやすいといった弱点を抱え、気疲れや自己犠牲が限界を超えると、心身の不調を来し、ときには別人のように怒り狂う面も持つ。
それは、決して二重人格ということではなく、献身と忍耐が限界を超えたとき、裏返ってしまうということなのである。
不安型愛着スタイルの人は、よほど追い込まれない限り、表だって異を唱えたり、不快さをアピールしたりすることは避けようとする。相手にできるだけ合わせ、自分を押し殺そうとすることも多い。
どういう問題についても言えることだが、それを克服する道は、問題を自覚することから始まる。問題を正しく自覚した時点で、課題を乗り越える作業の半ばは終わったともいえるほどだ。
不安型愛着スタイルの人では、親に従順で、あまり反抗しなかった人が圧倒的に多い。
実際、親に対してちゃんと自分を主張できるようになるとき、他の人間との関係も変わり始める。過度に自分を抑え、相手に迎合しすぎる不安型愛着スタイルが、少しずつ変化し始める。不当なことには、「いや、違う」と言えるようになる。
相手にとっての「良い子」をやめることには罪悪感をともなうが、その罪悪感こそが、あなたを支配する心理的な呪縛なのである。
頑張りたいことには頑張るが、気持ちや体を犠牲にしてまで頑張らず、ほどよく人生も仕事も楽しめる。そんな生き方が目指すべきところだといえる。決して達成困難なことではなく、今日からでも実践できることである。
怒りにまったくとらわれない状態ではなく、ほどよく怒ることもある状態が、もっともバランスのよい状態だ。怒りのすべてが悪いわけではなく、ときには必要なこともある。
相手の立場で思いを感じる共感能力と、物事を冷静に俯瞰する客観視の能力を身につけることによって初めて、ほどよい関わりというものができるようになる。
最初は、どうしてこうなったのかとか、誰のせいでこうなったのかとか、原因の部分にとらわれがちだが、回復のために必要なのは、原因が何かよりも、その人がその過酷な状況の中、どうやって生き延びてきたのか、そのためには、人の顔色ばかり気にして、相手に迎合するといった行動パターンも必要であり、そうなったのは、至極もっともなことで、むしろよくやってきたのだという視点である。
自分が背負うことになった試練に、肯定的な意味を見いだせるようになったとき、その人は、その試練を乗り越え、新たな自分へと成長を遂げようとしている。」
岡田尊司「不安型愛着スタイル」から抜粋して引用
僕も「不安型愛着スタイル」の傾向があります(笑)
人生 じんせい ジンセイ
顔で笑って心で泣くよりも
「喜怒哀楽を大事にして」
「子ども心を大切にする」
そういうことです
ほなよろしゅうに