腕時計論(上) | Carlos Danger Is Here

Carlos Danger Is Here

ヘイナーウ!

腕時計について俺なりにイロイロと考えていて、思いついたことがある。


腕時計の審美性と実用性は反比例の関係にある、ということ。


実用性の高い時計は、美しさの面で妥協されている。美しい時計は、実用的でない。


何千万円もするような腕時計においては、この反比例性は顕著。


これらは、ミニットリピーターとかイロイロな素晴らしいコンプリケーションがついていて、芸術品の域に達している(筈)。んで、どんな金持ちでも、こんな金額する時計は日常使いはできない(筈)。故に、実用性は低い。


しかし、価格が相対的に低い腕時計でも、この実用性と審美性には相反しあう緊張が存在する。


腕時計において二番目に実用的な機能は(一番目は、もち、時間を告げることです)、日付であると思う。


でも、日付ウインドーがあると、時計ダイアルの美しさというのは損なわれてしまう。


特に、クロノグラフでダイアルが既に忙しい場合、日付ウインドーが斜めについていたりすると、見ていて気持ち悪い(例:ローヤル・オーク・クロノ)。


スピマスとかデイトナとか、古典であるクロノは、日付を省いている。


日付機能をつけるとムーブメントの場所をとり、時計が分厚くなって美しくなくなる、ということもある。


日付機能を美しくしようとすると、ランガ1みたいにビックデートで、特殊なダイアル構成で、手巻き、てな時計になってしまう。


俺が最近これ欲しいと書いている、ユンハンスのテレメタークロノグラフも、日付機能をつけると全然別の、それほど魅力のない時計になってしまうのではないか。


次回予告:ラクジェリー・スポーツ・ウオッチは実用性と審美性を兼ね合わせているのか?