SOMPO美術館のあと、表参道へ。

友人の謡の先生が能「景清」のシテを勤めるとのことで、観に行きました。

こちらは銕仙会能楽研修所と言う名前でこじんまりとした能楽堂です。

でも、舞台が近く、表情もよくみえます。

 

さて、「景清」。

 

平家の武将、景清は平家滅亡の後、日向の国へ流されています。

景清の娘は人づてに父のことをきいて、鎌倉から父を訪ねて日向へやってきますが、見つかりません。

ある、汚い藁屋に老人がいるので聞いてみましたが、盲目ゆえに知らない、と言われ、先を急ぎます。この人こそ、景清のなれの果てであったのだが。

 

里人と行きかい、景清のことを聞くと、さきほどの老人こそ景清である、と言われ、戻ります。

景清は先の娘は我が子であるとわかったのだが、零落している自分を恥じて、知らないといったのだろう、と。

再び父のもとに戻り、再会を果たすが、景清は帰りなさいという。

娘は屋島の戦いで名をあげた父を思い、その時の話を聞かせてください、といい、景清はいきいきとその様子を話す。

しかし、いつまでも娘をそこにおくわけが行かない。

別れのときがきた。

 

このようなストーリーなのだが、実は私はこの景清、何回みただろう。

なにしろ、この藁屋の中とそこから出て、一、二歩の動きと謡だけで表現する。

西村師の謡は素晴らしかった。

 

この別れのシーンが演ずる人によっていろいろな演出をする。

だからこの場面はどのようにするかな、と楽しみでもある。

昨日は娘が歩き始めた時、そっと自分の杖を娘の前において、行かせたくない、という思いを表していた。

私が一番印象に残っているのは、娘の背に静かにほんの一瞬、手をあてて、すぐ、帰りなさい、と言うように、そっと背中を押すというやりかた。

 

 

 

何度見てもいい能だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日はこの絵に惹かれて新宿のSOMPO美術館へ。

「モダンアートの街新宿」というタイトルで、新宿にゆかりのある画家や絵を集めた展覧会。

この松本俊介の「立てる像」はずいぶん前にどこかで観たのだが、なぜか印象に残っていて、チケットと一緒にいただいたチラシがこの絵だったので行くことにした。

これは松本竣介本人を描いたらしい。そして、この背景が当時の新宿とか。

 

 

これはこまつ座(井上ひさしの劇団)で林芙美子を描いた劇「太鼓たたいて笛吹いて」上演のときのプログラムに使われた絵。

こんなふうに展示されるのだ、と知り、びっくりした。

白樺派の作家たちの絵もいくつか。

 

 

清宮 質文(せいみや なおぶみ) 「深夜の蝋燭」

今回の私が気に入った絵はこれです。

 

1987年にSOMPO美術館にやってきたゴッホの「ひまわり」

あのときはたくさんの人が集まったけれど、今は静かに。

 

絵を観るのは疲れますね、腰が痛くなる・・・。

でも、お昼は(画家たちを支援した)中村屋で!と。

ずいぶん昔行ったきり。

 

スマホの道順を見ながらでもわからなくて、途中で聞いて。

(聞くのは私、なんともないのだけれど、夫は聞けない・・・)

昨日はお店の人もわからなかったらしく、わざわざ、タブレットをもってきて調べてくれた。

そして、写真撮りますか?って。

すぐ近くだったけれど、写真撮らせてもらってよかった!

ありがとうございました!

 

 

 

カレーは整理券をもらって30分ぐらい待ったかな。

チキンカレーは(煮すぎた)むね肉だったので、私の好みではなかったなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は一日の大半を居間で過ごす。

このブログも毎日、食事のすんだ大きな食卓で書いている。

卓上には新聞も本も飲みさしのコーヒーカップなど、いろいろのっている。

そばで夫が新聞を読みながらテレビをつけている。

 

昨日あたりから、そのテレビの音がうるさい。

「あなた、新聞読んでるけど、テレビ聞いてるの?」「聞いてるよ」「ふ~ん、聖徳太子みたいね」と信じてない私は皮肉る。

実は、今までテレビの音は気にならなかった・・・、なぜ、急に?

・・・わかった、補聴器をつけたために、テレビの音がよく聞こえてうるさく感じるのだ!

というわけで、家では補聴器は使わないことにした。

そのうえで、夫にテレビを消させた。

ああ、静寂はいい。