先輩のご主人は、物知りで、どんな話題でも楽しく会話できる人であった。
特養でお会いすると、穏やかな表情ながら、言葉を失ってみえた。
先輩に「握手してあげて」と言われ、手をさし出すと、ご主人も手を出してくる。
「お久ぶりです。〝私〟です」と話しかけても、表情が変わらなく、焦点も何となく合わない。
先輩が「ほら、私ちゃんよ。家にも遊びに来てくれて、京都にも一緒に行ったわね」と話しても、理解しているのかどうか、わからない。
しかし、スリッパを出して「これでいい?こんなの好きでしょ」というと、視線をスリッパに移し、手を出して受け取る。
先輩が「気に入った?良かった」と手を握り、頬擦りをすると、少し表情が柔らかくなったようにみえる。
言葉を失くした人と、言葉を通さないコミュニケーションの方法が、ちょっと分かった気がした。
触って、撫ぜて、嗅いで等、いわゆる五感に頼ると、気持ちが通じると思った。
と同時に、ペットを可愛がるのと同じ方法のように思えて、少し悲しかった。