嫁の嫌う座右の銘『最善を望んで 最悪に備えよ』 | baabapapa2のブログ

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田舎の老夫婦の年金生活です。

以前、私の座右の銘として『最善を望んで 最悪に備えよ』があった。

仕事の成果を求められるが、多忙でハプニングも度々飛び込んでくることも多かった。

そうしたことへの保険として、いろいろな〝最悪〟を予想して仕事を進めるようにしていた。

 

具体的には、

・遅れないように、時間的にゆとりを持って早めに取り掛かる。

・周囲には必要な確認を取り、後でひっくり返されないように根回しをしておく。

等々である、

 

特に「確認」「根回し」は、重要であった。

 

・「確認」は周囲に人のいる場で行い、『証人』を作っておく。

(後で、「言ってない」「聞いていない」「そんな意味じゃ(つもりじゃ)なかった」と言わさないためである)

 

・「根回し」は、上司仲間のいるところでさりげなく話題にして「既決事項」とし、後になって異議(不満)を聞こえるようにぶつぶつ言われないためである。

 

こうしたことは、日常生活でもポイントとなる。

 

特に嫁姑の間では、心得ているべき(または、覚悟しているべき)と思っている。

 

しかし、永年姑に仕えてきた嫁と話すと、私は嫌われることがままあった。

 

彼女たちは、自分の苦労は最後は報われると思いたいのである。

だから、私の「報われない可能性もあり、その時の覚悟もしておくべきだ」との意見に顔をしかめる。

私は、彼女たちのハッピーエンドに水を差す何とも嫌な奴であるらしい。

 

A「いつかは(姑に)罰が当たって、ひどい目に合うに違いないよね」

私「いや、(姑は)お金があって健康で口も達者で、どう考えても最後まで思い通りにいくんじゃない」

 

B「最後は、私に〝ありがとう〟と言ってくれたし、(私の苦労を)分かってくれた。」

私「市内にいる娘たちには全く介護させずに、全て嫁に自宅で面倒見させるためには〝ありがとう〟の一言位安いもんでしょ」

 

あら! これじゃ嫌われて当然かしら。


でもね、私は田舎の大家族で育ってきたから、寝込んだ年寄りがどれだけ自分のことしか考えられなくなっているか知っているの。

一緒に生活して、何人も看取ってきたから(実際は、母親が介護でしたが)分るのよ。

(AもBも、核家族のサラリーマン家庭だったからなあ。)

 

私の経験してきた真実(私にとっての)はお口にチャックで、相手の望む言葉だけを言って同調してあげるのが、女の友情と言うものかもしれない。

 

私の一本気がフルイとなってか、AとBとはその後何となく疎遠になっていった。

 

今、残っているのは「そんなことも、あるかもね」「やっとれんわね」と言いながら(私に合わせてくれている?)笑ってくれる友である。