仕事でミスをしてしまった。
幸いにも先輩がうまく手配し直してくれたので何とか事なきを得た。しかしその後、小一時間怒られ、今までミスというミスをしてこなかったので正直泣きたいくらい凹んでる。
改札をくぐり電車に乗る。
父親からメールが入っていた。
(何時に帰ってくるのか。早く帰って来なさい)
門限に厳しい父。
もう社会人なんだから、と呆れつつも心配してくれてる気持ちもわかる。
(仕事で遅くなった。今から電車に乗ります。)と返信。
こんな遅い時間帯なのに、幸いにも車内は6割程度しか人が乗っていなかったので座ることができた。
ぼんやりと今日あったことを考えていた。
何故ミスをしてしまったのか。先輩の信頼を取り戻すには…考えても考えても反省しか浮かばない。
ふと視線を感じ、正面の男の子に焦点を合わせると目が合った。でもその瞬間に目をそらされてしまった。
私の顔、相当落ち込んでてブスだったんだろうな…まーいいか…とこちらも目線を外す。
…あれ?…待てよ。あの子時々この電車で見かけるな…同じ方向なのかな。変なとこ見られてしまったな。。。
彼はキャップを後ろ向きに被り、オーバーサイズのパーカーにデニムを履いていた。見るからに遊んでそうな感じだった。
真面目一直線で生きてきた私とは正反対の生活をしているのだろう。少し羨ましいな、今時の若者って感じだな…
すると、また視線を感じた。
さりげなく彼を見てみると、やはりこちらを見ている。
何だろう…と思い訝しげな表情で彼を見つめ返すと、彼は片眉を上げて、軽く2回頷いた。
え?何?私?とキョトンとしていると、さらに、唇を突き出したり、目玉をクルクル回したり、終いには白目を剥いていた。
思わず吹き出してしまったら、周りの人に白い目で見られ、『あ、すみません』と小さな声で謝った。
もぅ!と彼の方を少し睨むと、知らん顔して中吊り広告を読んで、ふむふむとか言っている。
何なの?からかって遊んでるの?と思いながらも彼が何故そんなことをしてきたのかが気になっていた。
その時、おばあさんが電車に乗ってきた。あ!と思い席を譲るため立ち上がった。と同時に、彼も立ち上がり、おばあさんに席の案内をしていた。
おばあさんは彼にお礼の言葉を何度も伝え、彼は「全然大丈夫だよ、おばあちゃん。僕、ダンスで鍛えてるから足腰は丈夫なの」と優しい笑顔で話していた。
席を立ってしまった私は、引っ込みがつかず隣の車両に移動し扉の近くにもたれかかった。
チャラチャラしてると思ったけど、良い子なのかもしれないな。あんな優しい笑顔もできるんだ…と彼のことを思い出す。ついでに白目の変顔も思い出したらおかしくなってきて、1人でニコニコしてしまった。
「あー!やっと笑った!」
いつの間にか目の前に彼が立っていた。
いたずらっ子な目でこちらを覗き込む。
「なんか暗い顔してたから、やなことあったのかなーと思って。何で笑ってたの?僕のこと?」
馴れ馴れしく話しかけてきたが、不思議と嫌な感じはしなかった。
『え、あ…私のために変顔までしてくれたんですか?なんかごめんなさ…』
「また暗い顔してる、いい?楽しいから笑うんじゃなくて、笑うから楽しいんだよ!」
『あっ、はい…ごめんな…』
「ダーメ。ほら、笑って?あと、ごめんなさいじゃなくて、ありがとうって言葉の方がよくない?」
『は…い…あ、あ…ありがとうございます。おばあさんにも席を譲ってたし、立派な方なんですね。何でそんな方が私に構うんですか?』
彼は少し寂しそうな表情をしたが、すぐ明るい表情に戻り
「みんな笑ってる方が好きだから。」
と何の迷いもなく言った。
彼があれこれ話しかけてくる。
好きな食べ物は?良く聞く音楽は?彼氏はいるの?ドライブは好き?など質問責めにあった。でも彼と話をしているととても楽しくて、どんどんそれに引き込まれていく。
何駅か過ぎ、電車がちょうど駅のホームに入った時。
彼が突然、真剣な目で
「ね。ヌナ。何があったの?」
と聞いてきた。
私は答えたくなくて
『ごめん、ここが降りる駅だから。帰らないと父親がうるさいし…またね』と電車を降りようとした。
「ウソ。ヌナの降りる駅はもう3つも過ぎてるでしょ?」
え…!何でそれを知っているの?…
ホームに到着し、電車の扉が開く。
彼は私の腕を掴んで
「僕、いつもヌナを見ていたよ。いつもはもう少し早い電車だよね?僕も今日は遅くなったから会えないかなと思ったら、悲しい顔のヌナがいて。見てるだけで充分だったんだけど…突然席を立っちゃうから慌てちゃって…」
『ウソ…でしょ?』
電車の扉が閉まる。
電車を降りれなかった。いや、降りなかった、というのが正しいだろう。
「ね?今日はもう少し僕と話をしようよ。お願い。僕に時間をちょうだい?」
彼は甘えるように下から覗き込んでくる。
でもその目は真っ直ぐでとても綺麗だった。ふとすると吸い込まれてしまいそうなくらい美しい。
どうしていいかわからず黙ったままの私。悪い人じゃないのはわかる。でも…家に帰らなければ……門限もあるし…
彼は黙ったままの私の返事を辛抱強く待っている。
電車が次の駅のホームに入っていく。
停車して扉が開いた。
少し腕を強くつかみ直し
「大丈夫。僕を信じて。」
その瞬間、私は自然と頷いていた。
彼が満面の笑みで私の手を引き電車を降りた。
間一髪で扉が閉まる。
ホームから手を繋いだまま電車が過ぎるのを見送った。
誰もいなくなったホーム。
ちょうどその時、父親からの着信。
ケータイを開いて電源をオフにする。
彼が心配そうに何か言おうとする。
それを遮って
『大丈夫。もういいの』
彼はビックリした表情をしたが、すぐに
「うん。僕を信じて。」
と微笑む。
男の人に付いていくなんて人生で初めて。でも彼の言葉は何故か信じられる。
いつの間にか繋がれた右手。
彼が振り返って歩き始める。
私は意志を持って一歩踏み出す。
彼を知りたい。
その気持ちだけで初めての門限破りも怖くない。
fin