自由人として生きる人々 | 工房長のぼやき

工房長のぼやき

チームスチームパンの工房長、安達俊信の日々是之。
思いついたことをカタカタ書いています。

自由人に会う。


これは、大学の同級生や先輩後輩と会う

ということを自分の中で意味しています。


最近、また大学の皆さんと集まる場ができ

いろいろな話をしております。


卒業して、

「うちの大学では何を教わったのだろうか」

と振り返る機会がありました。


マルチメディア文化課程。

今はもうない学科ではありますが。



教わっていたのはリベラルアーツ


……いろいろな学問、文化を

横断的に学び、

固定観念を壊し、

自由人として生きる。


というのを学び、

探求していたんだろう

と思うに至っております。



同級生は、

結婚、出産、絶賛子育て中の人もいれば、

作品を作る人や、

日々の仕事を黙々とこなす人もいます。


話をするだけで刺激的になるのですが、

この自由人たちの

何に刺激的を受けるのだろうか?

とふと思いました。



気づいた点は、

自分への理解

という点。


人間は自分の内側を確認する感覚がないため、

自分がどんな人かを知るには、

外側からの刺激で知る必要があります。


自分を知るために、

他人をよく観察する。


他人をよく観察して、

自分はどんな人かをきちんとわかった上で

話をするので、

人間的魅力があふれているのだろう。


そんな風に思いました。



「他人をよく観察する」というのは

「相手が何を欲しているか」を理解する

ことにもつながります。


自由人として生きるには、

相手が欲しているものに対して、

その是非を自分で判断し、

自分はどのような行動をするかを決める

ということが必要です。


観察ができている人は多くいます。


良いか悪いか、

自分で判断して、

行動まで起こす人は、

そんなにいないです。


なぜなら、

相手が欲しているものに合わせた方が

波風が少ないので、

判断すらしない方がよい。


判断をしていたとしても、

行動まで起こさない場合もあります。


集団としてまとまるには、

考える人は1人で突き進んだ方が

まとまりやすいです


人間は集団だから力を得たので

当然と言えば当然の性質です。



自由人の生き方とは、

集団ではなく、

個人で生きていくことなのでしょう。


ただ、

あえて行動しない行動をしている人もいます。


このような人も自由人でしょう。


このような自由人を見つけるのは

とても難しいです。


大学の先輩後輩、同級生は

いずれかの自由人であるかと思います。