相場に全くトレンドが存在しないという、ランダム・ウォーク理論の主張がある。

しかし、相場というものにトレンドが存在すると仮定した場合、移動平均乖離率は時間と共に減衰するはずである。


純粋なランダム・ウォーク理論を相場に適用する事は不可能だと思う。

ランダム・ウォークであることを何を持って証明するのだろうか?

人間が恣意的な市場操作を行なうことでランダムウォークでないと証明できないだろう。

恣意的な市場操作も、市場があるからこそできるのであって、明日に人類が滅亡したらできなくなる。

滅亡する要因として例えば、異常気象や天変地異などが発生する可能性はランダム・ウォークだといえるだろう。

ということは隕石によって市場が操作されることと、人間によって市場を操作される事の違いは無い。

結局、全てがランダム・ウォークとも言えるし、ランダム・ウォークでは無いとも言える。


ということで、ランダム・ウォークを相場に適用できるか否かは専門家に任せるとして、移動平均乖離率はどうやら時間と共に減衰しているのが確認できる。

その逆だともいえるのだが、ややこしいので乖離が発生してからを基点とする。

乖離の発生を基点として移動平均は時間と共に価格の振幅を網羅していく、よって移動平均乖離率というのは、時間の経過に伴って先鋭化するのである。

そして、トレンドというのは突然変わる事ができないということである。


また移動平均乖離率の振幅は周波を描いている。

トレンドに従いながら、下がれば買い、上がれば売る。

これも、トレンドというのは突然変わる事ができない事を示している。

乖離というのは人間の心理や国策、社会情勢によるのだろう。


こういったシグナルをMACDは分かりやすく表してくれている。

職場で仕事がまだ飲み込めていない就任僅かな新人を指して、新米という例えを使います。

まだ仕事に対してまっさらな気持ちであるのと同時に、期待を込められた新人への例えだと思います。

ところで、新米呼べるというのは一体どのくらいの期間なのでしょうか。

明確な定義は無いようですが11月から翌年の10月までの1年間を指すようです。

収穫から1年経ったものは古米、2年経ったものは古古米と呼びます。


実は大人になるまで、米がおいしいと思った事がありませんでした。

特に、お米だけを食べるなんて考えられません。

なぜかというと、お米が硬くてまずいイメージがあったからでした。

鼻に付くような香りと、お米の味が嫌いでした。

しかし、大人になり自分でお米を買って食べるようになったところ、意外にも炊きたてのご飯がおいしいのです。

ふんわりとした甘みと、香りが最高です。

自分がご飯を炊くと、なぜこんなに違うのだろう?と思っていたところ、たまたま知らずにブレンド米を10kgほど購入したところ、その硬さと香りに昔懐かしい思い出が沸いてきました。

鼻に付くような匂いと、硬くてまずい米。

それを食べながらふと思い出しました。


私は裕福でなかった家庭に育ち、お小遣いも無く服を買うお金も工面するのに苦労していました。

たまにはご飯も食べずに学校に行ったり。

あの頃と比べ、随分と裕福になった自分、決して忘れてはいけないものが、そこにはあった気がします。

喜びよりもせつなさが付きまとう思い出、そこには子を思う親の心痛な気持ちがあります。

50円のハンバーグを家族4人で分け合う時、親は食べずに私達が食べるのを見守ってくれました。

クリスマスにはケーキと手作りのプレゼント。

七五三も節句に何もしてやれない時、部屋の片隅で母がこっそり涙していました。

それが我が家では精一杯でした。

その時から懸命に生活する親の姿を見て、真面目に一生懸命がんばる人間が幸せになる世の中にしたいと思いました。


そして、この思いは変わることはありません。

今でも、古米を食べて生活している人達が、たくさんいると思います。

その事を忘れないように、古米を食べていきたいと思います。

影虎の雑学日記


Co2削減目標を掲げるチーム6%が鳩山内閣に変わりチャレンジ25になりました。

2005/2/16に京都議定書を発効してから5年が経とうとしています。

未だ6%に到達できずにいますが2012年には6%、そして2020年には25%とという、世界に先駆けた高い削減目標を掲げ出発しました。


目標が決まった以上、必要な事は実現に向けたプロセスとなります。


本来、私のマネジメントルールからすると、目標に到達するまでのシミュレーションやロールプレイングを行いあらゆる状況を考慮したcontingency planをたて、タスクを細分化し、タスク毎に目的を明確化した上で関係各部署へ相談して協力を要請したうえで、実現可能な領域と確率を導き出します。

足りないリソースは、外部から調達し、コストを算出し予算取りをします。

この時既に役割分担も決まっており、関係担当者に根回しを行い、ある程度目標に向けて意気投合できる環境作りができています。

これらの裏づけを元に作成した実施プランを役員と協議し、決済が下りると同時に実現に向けて踏み出します。

ざっくりとした流れですが、このようにプロジェクトは成功して当たり前なものです。


しかしながら、世の中には疑いたくなるような段取りの悪さで進むプロジェクトが多い事に驚かされます。

マネジメントの素養は、頭の良さより、その人の性格で決まると思います。

なぜなら頭が良い人間の多くは、責任を転嫁することに長けています。

しかし、プロジェクトを成功させる為には、自分が全ての責任を負える人間でなければなりません。

失敗したマネージャーは、失敗の原因は自分以外にあったといいます。

これは、私が携わったプロジェクトで何度と無く耳にしました。

時間が足りない、予算が足りない、クライアントの無理な要求、前任者の不始末、メンバーの能力不足・・・。

しかし、これらの言い分は全てプロジェクトが終わった後に分かった事ではないのです。


諸問題は全てプロジェクトが進行している最中に分かっていた事。

そして、それを知りながら問題を自らが主体者となって解決に当たらなかっただけ。


誤解が無いように言えば、責任を転嫁することは評価すべき高い能力だと考えています。

自らの昇進だけを物差しとすれば、これほど必要不可欠な能力は無いでしょう。

しかし、マネージメントに関して言えばその能力は不要です。

プロジェクトには不安定要素が付き物で、多くの問題解決が要求されます。

その時に、自分が主体者となって問題解決にあたれるかどうかで、そのプロジェクトの成否が決まると言って過言ではないでしょう。

多くの人はこれが出来ません。

この素養は、頭の良さではないことがわかっています。

問題解決にあたり、関係各部署に理解が得られる目的と実現可能な方法を説明した上で更に協力してもらう能力が必要です。

これは問題解決に向けて自らが立ち向かい導こうとする強い意志が無ければ、そのような発想すらできません。

協力を得るとは、相手の立場を良く理解して、彼らにとって一番良い方法を考える事が必要なのです。


さて、チャレンジ25ですが、実現に向けて現実的なプランが見えてきません。

Co2の排出は、生産・消費活動に伴うものです。

Co2を減らすのであれば、それは即ち生産・消費活動を減らす事になります。

もちろん、これだけの削減量は企業の経営や国民の生活に支障をきたす可能性があります。

25%削減とは、それ程までに高い目標なのです。

とりわけ協力してもらう必要がある国民に、どこまで事実を説明しているのでしょうか。

国連気候変動サミットにおいて日本政府として正式に宣言しました。

ということは、国民全員の責任です。

後から鳩山内閣の責任にしようとしても、国連で宣言した日本に対して諸外国はそのようには見ません。

そして、日本は経済力だけでなく信用も失うことになるのです。


具体的なプラン


・Aプラン

Co2を排出している企業(電力会社、石油元売、工場・・・など)と、Co2を排出する製品(自動車、家電、各種機械・・・など)全てに一律25%以上を低減させる。

また、目標の排出量を削減できない企業は、排出権買取を利用して代替する。

最終的には、製品、サービスの価格に転嫁され国民が負担する。


・Bプラン

Co2を排出している企業(電力会社、石油元売、工場・・・など)と、Co2を排出する製品(自動車、家電、各種機械・・・など)全てに一律25%以上を低減させる。

また、目標の排出量を削減できない企業は、国内生産の縮小または海外へ移転を行なう、これに伴い国内の労働者も海外へ流出させることで代替する。

最終的には、産業の空洞化による労働環境の悪化と賃金の引き下げに転嫁され国民が負担する。


・Cプラン

問題を先送りし、結果的に京都議定書を反故にすることで回避する。

日本は世界から非難を浴び、政府が排出権買取を利用して代替する。

最終的には、税金に転嫁され国民が負担する。