3日目の夜のことを書き忘れていました。
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網走市内のガイドマップを見ると、「北のそば名店10選」
に選ばれている店が実家の近所にある。
そば好きの私は当然行ってみたくなるわけで。
私が住んでいた頃は、弘栄堂さんというお菓子屋さんだった
その場所に、その御蕎麦屋さんがありました。
実家の家族も入ったことが無かったようで、
(ありますよね、そういうこと)
で、東京のお蕎麦屋さんと同様にお酒を飲みながら、肴を
出してくれるものだと期待をしていましたが、、、、残念ながら
「お酒とおつまみは出していないの」と女将さんに言われてし
まい。。。ちびちび兄貴と飲んでいると。。。
「今日の夜の食事なんだけど、はい!」って
蟹のてんぷらを持ってきて下さりました。
「いやー、何も無いけどさ。。しかし息子さん、大きくなったねぇ・・・」
って、あれ、あれ、もしかして、、、、
「入って来た時から、気づいてるよぉ。先生の息子さんでしょ?
高広君、、わしね、昔『つくし食堂』やってたの!」
「わかった!どうりで、お二人ともどこかで見たことがあるなぁ」と。
(はい、やはり柴崎さんでした。)
でもね、蕎麦はね、注文入ってから作るから。ちょっと待って。
56歳から一念発起して、蕎麦うちを始めたそうで。
「最後の挑戦」と思ってね。
その一言が今の自分にはとっても重要だった。
野球やラジオ体操で毎日お会いしていた大先輩だ。
年齢は関係ない、どう生きるか。
出てきた蕎麦はとてもおいしかった。
東京では分らないかもしれない。水があまりにもプレーンだと、
こうなる。という典型かと思う。
本当にそば粉の味。
で、焼酎の蕎麦湯割りを所望する我々の気持ちを察してか、
あきらめてか、しまいには女将さんが自分の部屋?から焼酎を
持ってきて、「これはただでいいから!」ってくれました。
20年以上経っても変わらぬ、暖かさと明るさ。
素晴らしいです。
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東京でどうしているの?と聞かれ、ちょっと気まずい自分が嫌だった。
人生いろいろあるからね。と慰められもして、大人の人たち・・・いやい
や、普通の人からは全てお見通しなんだなぁ、とも感じました。