こんにちは。
いつもいいねしてくださりありがとうございます。
甲状腺乳頭がんから未分化がんへと転化して、人生残りわずかとなりましたが、未分化がんの情報があまりにも少ないので、私のリアルな体験がこれからのどなたかの拠り所となればと思い、日々綴っています。
手術の際の検体を遺伝子異常の検査にまわしてくださったドクターには心から感謝しています。
その結果を待つ間に、並行して治験参加のお話もいただきました。
手遅れにならぬようにと、さまざまな手を打ってくださったことに心から感謝しています。
この時の治験薬はレンバチニブとオプジーボの併用で、治験コーディネータさんから冊子を受け取って説明がありました。
「おうちに帰ってから、しっかり読んでください」
いただいた冊子を持ち帰って、そう言われたように様々記載されている副作用について毎晩繰り返して読んだ挙句、結論としてやらない選択をしました。
大きかったのは2週間の入院と、一部の副作用について。
そして、この薬剤を投与しても、さほど延命できないということ。
それをわずかな日数の間に決断して、意思決定を治験コーディネータさんに話さなければならないというのは心理的な負担でもありましたが、家族にも気持ちを話して理解してもらいました。
この時、もし治験参加していたら・・・
・2週間の入院料の負担
・必要な検査料の負担
・治験薬以外の薬代の負担
・副作用の治療費
など
どこかが少しは回復していたかもしれないけれど、肉体的な負担以外に経済的な負担も加わっていました。
やってみなければわからないことだし、後になって「あのとき、やっていたら・・・」と後悔したくないですよね。
しかも薬の効果についてのデータ収集のための治験とはいえ、個々によって結果も違ったかもしれないし。
でも、この治験は私については「やらなくて正解!」と、のちに薬剤師の方から言われました。
もちろん、治験参加されている方がいらっしゃるので薬を否定しません。
でも、2週間という私にとっての貴重な時間は家で家族と過ごしたかったし、それをなにも病院で苦しまなくても・・・というのは夫婦同意見でした。
治験コーディネータさんにこの固い意志を伝えたのは12月1日。 退院後2週間、傷の痛みもまだ癒えぬ間のこと。
11月上旬に手術して外部に検査委託し、12月上旬には遺伝子異常の検査結果がくるはずと医師から言われたのですが、なにぶんにも外部へ委託している検査だから待つしかない・・と、ひたすら待ちました。
12月上旬にはまだ比較的体調もよくて、「今のうちに会いたい人たちに会っておこう」 ・・と、遠方からの友人と旅行もしました。医師からは「次回病院の予約日よりも、自分の予定を優先してください」と言われていました。
でも、12月半ばに差し掛かるころ、「連絡が無いということは遺伝子異常に該当なしだったのかもしれない・・・先生も忙しい中で言いづらいよね。だから電話がないんだろう。次回の診察予約日まで、もう考えるのはやめよう」 と、自分に言い聞かせて諦めの気持ちになりました。
その頃の体調は、倦怠感、蕁麻疹様血管炎、悪寒&発熱、嚥下障害、体重減少、首のこわばり、寝汗など。
取り残した腫瘍の増大によって食道が圧迫されて狭くなり、食事が喉を通りづらく、水分摂取の際には嚥下障害によって吐くほどに咳き込んで呼吸困難になったり。
夜中には2~3度肌着まで着替えるほどの寝汗で起きて、水分摂取でむせて。。。
あと半月したら、呼吸ができなくなっているかもしれない・・・そう感じていた頃。
そんなある日、「お待たせしました。BRAF陽性の遺伝子異常に該当したという結果がきたので。薬の用意ができているので明日病院に来てください」と医師から電話があり、私は命の時間の猶予をいただくことになったのです。
目のまえが明るくなる思いがしました。
「あのとき、薬に間に合ってよかったよね」
大学病院最後の診察日、しみじみと医師がこぼした感想でした。。。
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残された時間に限りはあるけれど、私の体験が少しでも後につながり、役立つように。
そして、様々ながんサバイバーのみなさまの一日一日が少しでも幸せでありますように。
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令和6年2月27日 ★b-raugh-yousei★