有子曰く、其の人と為りや孝悌にして、上を犯すことを好む者は鮮なし。
上を犯すことを好まずして、乱を作すことを好む者は、未だ之有らざるなり。
君子は、本を務む。本立ちて道生ず。孝悌は其れ仁を為す本か。
(学而1-2)

有子が言われた。人柄が親思いで、兄弟思いなら、世の中に出て目上の者にたてつくことを好むような者はまずいない。目上の人にたてつくことを好まない者であれば、世の中を乱すことはまずない。よき人は、本をしっかり務める。本がしっかりしてこそ、人として生きる道がはっきりする。親思いで、兄弟思いであることが、人としての道「仁」の本であろう。

「仁」とは「人」と「二」を組み合わせた漢字。つまり、人と人との人間関係における倫理・道徳の基本である「まごころから人を思いやる」こと。

 「乱を作す」・・・社会の秩序や平和を乱すこと。
   今、誰もが世界の平和を唱えている。しかし、「孝」つまり親を敬愛し、尽くすことや「弟(悌)」つまり兄・姉や目上の人を尊敬し素直に従うというようなことを教えなくなった。

 「道徳」→個の主体性を損なうものであるかのように教えられている。
   
 しかし、「孝」や「弟」を否定し反抗心ばかりが養われるようならば、家庭はもちろんのこと、社会の秩序は乱れ、平和が崩れてしまう。親孝行や兄弟思いという家庭における人としての道「孝弟」が、人倫の基本「仁」を磨く本であり、それがまた、社会の安定平和の大本だということ。

子曰く、己んぬるかな、吾未だ能く其の過ちを見て
内に自ら訟むる者を見ざるなり。
(公冶長5-27)

つくづく嫌になるな。自分の誤りに気づいても、自らをとがめ、責めようとする人を、私は見たことがない。

「己んぬるかな」・・・深い嘆息の言葉

人は皆、自分は自分のままでよいという思いが強く、なかなか過ちに気づかない。それが自分の個性であるからという思いから、真剣に改めようとすることは稀である。

言われてみれば、その通りだが、心の剛さがなければ、自分を改めることはなかなかできないことである。

長所と短所は、裏返しのところがある。
自分では、長所と思っているところが、他人から見ると短所と感じられるところ、またその逆もある。仕事をする上でも同様である。

単なる性格ではなく、仕事をする上での基礎的な力と自分の性格を照らし合わせて考え、絶えず客観的な分析から反省することで、正しいか誤りかに気づくものである。その上

で、誤りに気づいたら、強い心でそれを改めることが大切である。

子曰く、道に志し、徳に據り、仁に依り、芸に遊ぶ。
(述而7-6)

人としての道をもとめ、人に徳を与えようと心がけ、まごころからの思いやりを行いの拠りどころとして、そして、楽しく芸に遊ぶ。それが私にとって、この上ない喜びである。

「道」とは、宇宙のいのちのはたらきに則った人の生き方。
それが、自分の身に具体的な形をとって現れたのが「徳」である。
徳の内容は「仁」つまり、自他一如のまごころからの思いやり。

「一如(いちにょ)」・・・現れかたは違うが、真実の教えは、ただひとつであること。
「如」とは、違わない意。

「芸」とは、特徴がともなう芸能や趣味。