まったく連絡よこさぬ木村病院 | hiromiさんのブログ

hiromiさんのブログ

歯茎、乳、謎の病気治療中

飼い犬は、なんとか食事はできるけど、

まだ、変な咳が続いてて、不安な状態。
(二男と協力してろくに寝ずの交互の看病が続いてる)

6月1日 木村病院電話が来た後から、変な咳しながら、何度も吐くようになった
事態から、わが子への体調の不安が懸念されたが

今は、咳はあるけど
だいぶ回復して見える
(同時に体調を悪化させた私の病状がよくなくて、
ずっと不眠続きで つらいので、ゲームしたりして気を紛らわしてる。今飲んでる睡眠薬でだいぶ安定するが、おきたとき、
酷い動悸が起きる。薬の副作用かも。)


それで、
6月1日の昼頃に、めがねが壊れた事件で

電話が来たが、担当の塚田先生が 

午後に帰られ不在のため、月曜日に改めて

電話してください、との事で、


昨日月曜日、6月3日に 

あらためて 9時に病院へ電話したのだが、

そしたら 主治医の 塚田先生が、

会議に出ている、という事で出てられないため、
「こちらからあとで 電話しますので」
といわれた。


しかし、
待っても待っても、折り返し電話が来ないので、再度
昼ごろ(午後1時ぐらい)電話したが、

「まだ、会議なので、後で折り返し電話します」

という返事。

それで、まだまださらに待って
午後3時ぐらいになって、再度電話したが、


「まだ会議中でして・・・こちらから電話させますので」

と またいうので、まだまだ待つのだが、まったく連絡こない。


ずうっと、不安と心配でさらに待つのだが、

とうとう、午後6時になっても

電話が来ないので、またしぶとく午後6時頃に電話したら、今度は

「先生、もう外に出ています。病院にいません」

との、信じられない返事が!!!


それで、息子の病状が心配なので、どうなのか尋ねたら、

「それは、塚田先生を通じてじゃないと、答えられません」

という返事が、入院してからほとんどだったのだが、

「元気に過ごしてますよ。
今、食事してるんで、また、明日にでも電話かけてください。」

と、答えてくれたものの
速攻で電話を切られてしまった。


こういう対応を取られると、

たぶん、会議なんて嘘かと疑う思うし、壊れためがねも放置か・・・

病院のカンゴシや医者は、私たちより病態を把握してるはずだが、
本当の家族じゃないし、

まるで、うちの家族を、やっかいものか、邪魔なもののような
扱いに思えてきた程だった。


息子がA棟にうつってすぐ、安定していたはずの体調が悪化し、
3月12日に、おむつになってしまった事も、
隠蔽していたし、

看護師には、あらたの「てんかん発作」みたいな
深刻な病状も、ちゃんと伝わっていたのだろうか?

不安や不信感だらけ。 

思えば、

薬が、注射と多量の薬になってしまってから、さらに
通院をいやがるほどになって、

「病院へ行きたくない」と、訴えていたあらたに、
無理やり注射を打つ、を繰り返していた事態も、

本当に良い判断なのだろうか?



なぜ、3月にA棟に移ってから、急にあらたの病状が悪化し、
施設がみつからない程になったのか、・・・
やはり、違う病気(脳の異常など)が潜んでいるのではとか。



でも、思えばその前に

青葉病院から木村病院へ転院した直後の2年前ぐらいから、急激な状態悪化が
出現したわけで

それは、実は元旦那側から、突然
ハイテク機器(ゲーム機だけど)と、謎のラインが来た時期とぴったり重なっていた。


急激に 再発し、はじまったのだが、何か裏があるようにしか見えないのだ。


なぜ、そこまで転院の影響を
うちの家庭が破壊されるほどに受けるのか・・・

怪奇現象は、すでに死んでいる両親だけでなく、うちの母子家庭まで

滅ぼそうとしてるほど、ひどいものなのだが・・・

何が根本原因か(何度か、戦争の影響の飛び火もニュース報道から考えた事あった)


物資を病院へ送った時に「爆弾かと思いましたよ。ちゃんと宛名、記入してください」
と、言われた事を考えても、

あっちの病院は、「私が心配してると思ってない」「子供を私と引き離すため、
同士討ちを仕掛けてきてる」と、思えた事も事実で、
でも、手に負えない程 病状が悪化した息子を世話する場所が

他にないらしいし、私には薬の管理はできても
処方は無理なんで。(薬や通院で生活つないでるようなものだから)


どれもこれも 私の被害妄想といえばそう見えるが、
実際には、悲惨な12年前の、三重県での家庭崩壊や、その後の排除された
事態を
再現させられている気がして、苦痛でならない。


どう努力しても、私が心配しても、もう二度と親子が会えない状態にまで
落とされ、さらに 私が

私が悪者にされ、仕事まで奪われる、という経験からの被害妄想もあるのかも。

それは、

自分の親を必死に助けようとしたのに、

私が悪者にされる、というカシワド病院での事態、さらに

親の壮絶な 介護、病院側のひどい対応、死闘も思い出すのも
事実。

病院側には、ちゃんとしてる人やがんばってる人もいるけど、

今までの両親の介護でのつらい経験や、老後の病気処置やメンタル崩壊的な事、疾病が長期に及ぶ場合を考えると、

私は千葉で骨をうずめたいと、正直あまり 思えないのが本音。


どこか、違う県に逃げないと、今度はわたしら母子も攻撃を受けて、殺される、という被害妄想が消えない。

実際の、病院側や訪問看護側の対応や、淡がつまって窒息しそうになった
じいじいを 助けようとしたのを 攻撃され
排除されたあげく、

最後、精神科に転院したじいじいを まるなげされて、メンタルを壊され無念に死んでしまった
経験からくる被害妄想が酷いんですよ。
(母の手術の事については、私は待機してたので、なぜ長引いたのか
わからないが、手術が長引いたあげく、午後5時半頃に、病院へ電話したら
大量出血して 内視鏡で止血し、その後輸血で命をつなぎ、
退院まで1か月ぐらいかかってしまったのは、覚えてる)

かくと長くなるんで、いったんこれで終わります。