子を想う母が眠る伝説の池は実在するのか!? | かにの雑食日記

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リハビリとか頑張ってるけど基本は富山の片田舎で気の向くままに生きてます。

というわけで今回のテーマは伝説です。

この辺に伝わる伝説に出てくる池を探して川を遡ってみようという魂胆(≧▽≦)

山田川に合流している川が今回の舞台なのでまずは山田川に向かいます。


見辛いですが右下に流れて合流するのが辺呂川です。

土手道は草だらけで歩きにくいっす(>_<)

昔はこちら側の土手にも轍があって歩きやすかったのに・・・

俺が子供の頃は駄菓子屋で花火を買って山田川で遊んだりしたけど、

今の子供はやらないんだろうな・・・駄菓子屋も婆ちゃん亡くなって店閉めたしorz


数年前に河川改修で護岸工事したはず・・・自然ってしぶといなぁ(^_^)


以前はホタルが住む川だったんですが・・・無事生き延びたらしいです(≧▽≦)


子供の頃よく釣りをして遊んでたドンドコ。

ギョニソ
モクズガニが釣れたあの驚きを思い出しました。


住宅街も抜けたところで謎のトンネルが・・・秘密基地か!?


トンネル前・・・落書きの無い綺麗なトンネルを見ると平和だと思いますね(^_^;)


民家はおろか電柱や電線すら無い田舎っぷり・・・!


辺呂川もせせらぎ程度に流れが小さくなりました。


このまま行ける所に行こうと思ったら元気な雑草たちが道を塞いでますorz


怪しすぎてどう見ても秘密基地の入り口としか思えないです・・・



回り道をして雑木林の横を通る別ルートを行くことにします。



雑木林ではガクアジサイが咲いてました。


ちなみに普通のアジサイはこれの品種改良したものです。


そしてついに辿り着きました・・・!



俺の足じゃこれ以上進めない場所に!!orz


河童が出てきても不思議じゃないまでの大自然っぷり(≧▽≦)


案外こんな淵が走影の池のモデルになったのではないですかね?


走影の池はこの辺りに伝わる六治古伝説に出てくる池ですね。


妻が別れの際に息子が恋しがったら訪れるよう言い残した池です。


六治古の息子が居なくなった母親を想ってその名前を呼ぶと、


母の在りし日のままの姿がほのかな影となって現れて(本人は出ません)、


その影が稲妻の如く湖面を走り抜けたという伝説が残る池です・・・

静止画が最初だけな辺りちいちゃんのかげおくりより酷いですね(>_<)


ちなみに六治古伝説とは・・・


孝行息子の六治古が母に食べさせようと市で生きた鮭を買ったものの、


動かないから弱っているのかと川で水をやったら逃げられてしまい


その後ある雪の夜に若い娘が~というテンプレ異類婚姻譚です(^_^;)


ただ他の異類婚姻譚とは設定面でちょっと違っています。


娘の正体は当然・・・ではなくです。


六治古さん別に禁忌を破ってないのに奥さんに帰られます


何故奥さんが正体明かして帰ったか?


その理由は・・・お母さんが亡くなったから


奥さんの正体は六治古のお母さんの孝行っぷりに感心した龍王が、


お母さんの介護と家事の為に遣わせた龍女だったのです・・・!


ちなみに鮭には六治古を試す為に化けてました。


龍王の出す六治古への試験は


①母にたまには魚を食べてもらおうと貧乏でも無理をして鮭を買う孝行心


②弱っている鮭に水を与える優しさ


の2点を試すものだったと推測されます。


・・・川で鮭に逃げられて必死に探すのは試験クリア後だからセーフですね(^_^;)


その後は息子六郎は立派な武将になる立身出世譚で話は終わります。


のかと思いきや志半ばで亡くなってしまいます(>_<)

しかしアレです・・・


この伝説で思ったことは・・・


最愛の母との死別に続いて妻にも離婚される六治古が可哀想です(>_<)


あと娘が一夜の宿と言いつつ出て行こうとしなかった理由も変わってますね。

両親を亡くしてからは兄一家のところに世話になっているが、

兄嫁が酷くて前から家に帰らなくなっているので置いて下さいというもの。

普通だなぁとお思いでしょうが・・・前から家を出てるのはです(^_^;)


ちなみに龍女は機織りが得意という異類婚姻譚の女房によくある設定に加え、


稗や粟より田を開墾して米作りを始めようと布を売って馬や農具を買ったり、


龍滑車を発明して干ばつから田を守ったりと家事以外にも大活躍です。


その龍滑車ですがべろと呼ばれるくらい形状が舌に似ていたらしく、


水をくみ上げた川の名前が辺呂川(べろがわ)の語源として残ってます。


しかし上流に行くほど川の水が汚れるって何でだろう?(>_<)


辺りを探ってみると色々気になるものがありますね。



近くには水路に偽装した怪しげな地下迷宮とか、



森の奥へと消えていく山道だとか俺の好奇心を刺激してやみません(≧▽≦)


まぁ大人しく撤退すると来た時とは違うトンネルが待っていました



この場所は確か・・・と記憶を辿りに目を凝らします。


すると木々の合間から・・・・・・あった!



昨日訪れたばかりのキリシタンきく塚が見えました!


そのまま国道に出て今度は神社へ向かいます。


一週間の写真です(>_<)

この神社の由緒が六治古伝説と関係があるからです。



神社の由緒はこうです。

   長沢稲荷神社は、伊弉諾尊の御子にまします事勝国勝長狭命という神の子孫で、貞治古という人を、氏神として崇めお祀りしているお宮さんです。貞治古は長沢山の麓に住み、四人の男子と共に専ら地を開き耕作に励み、年を経るにつれて子孫大いに増殖し芝野益々拓き、さらに道を諸方に拓き、この地を祖先にあやかり長狭と名付けました。これが長沢の名源だと言われています。
  貞治古翁は長狭命を懐かしまれ宮地を字山ノ下に定め、長狭命を祀られました。この頃より家屋次第に多くなり、三十四ヶ村にも及ぶ広大な長沢郷の礎が築かれたと伝えられています。
  貞治古翁が亡くなられると、翁を敬い慕った人々が社殿を建立し、宮治古と尊称し長狭命と共に祀りました。貞治古翁がこの地に豊かな稔りをもたらしたことから、稲の神様、倉稲魂命のような翁ということで、若宮稲荷とも称して崇めました。永い時のながれのなかで人々はいつの頃からか、若宮稲荷を稲荷社と呼ぶようになり、さらに平成六年稲荷神社と改称されました。


六治古伝説では六治古のお父さんの名前も貞治古で、


六治古は四人兄弟の長兄です。


地元には六治古伝説にはいくつものバリエーションが存在して、


六郎は武将にならず長沢開墾の祖となる話も聞いた事があります。


恐らくはこの地に伝わってきた開墾伝説が永い時を語り継がれるうちに、


異類婚姻譚や立身出世譚を取り込んで現在の形になったのでしょうね。


参考資料


家にあった古い本・・・伝説とやまは昭和46年発行です(^_^;)


伝説とやまにはまんがにっぽん昔ばなし最恐との呼び声も高い


十 六 人 谷


も収録されています(>_<)


まんがにっぽん昔ばなし「十六人谷」