台風18号が上陸した。
父母2人で暮らす実家の兵庫県宝塚に避難指示が出たというので、先ほど電話してみると、
夕べは相当風雨が凄かったそう。
いつでも避難できるよう、避難リュックを持ってAM1時過ぎまでラジオを聴いていたみたい。
母いはく、
「怖くはなかったけど、リビングにある沢山の大切な想いでの品が全部ダメになると思ったら
残念やけど、まあ、それも運命やしね・・・。」
怖くなかった・・・らしい。築40年超す木造2階建ての家で・・?
両親は旅行好き。しょっちゅう二人で出かけている。
この間も金婚式50周年のお祝いに、新婚旅行で訪れた九州を同じコースで1週間かけて
周っていた。
海外でも、屋久島でも、礼文島でも
「2人やと」 怖くないし、あきらめもつくらしい・・・。
話はさかのぼるが
あの阪神淡路大震災のときも・・・母は怖くなかった!?らしい。
当時私はまだ独身で2階の自室で眠っていた。父母と祖母は1階。
早朝5:46、はるか遠くから、何か物凄く大きな物体が、凄まじいエネルギーと速さで
全てを破壊しながらこちらに迫って来る・・・!!
あたりの屋根瓦、ガラス、壁が崩れ落ち、恐ろしい地響きと正体不明の威圧感に、
私は身動きできず、
「あー死ぬときって、ひとりなんだなぁ・・・」とあきらめながら
「このベットの真上の3階屋根裏部屋にはスキー板置いてあったなぁ・・落ちてきて突き刺さったら
痛いだろうな・・・・」とわずかな時間に変に具体的なことも考えながら![]()
ベットのヘッドレストぎりぎりに頭を寄せて布団をかぶっていた。
間もなく、激しい振動と轟音と共に、私の部屋のあらゆるものが、なぎ倒され壊された。
何十秒後かに水を打ったような静けさ。
私は無事。
でも階下から隣家からも物音ひとつしない・・・。
生き残ったのはわたしだけ・・・!?
![]()
散乱した部屋から何とか階段の降り口まで行き、家族の名を呼ぶと、しばらくしてから
無事の応答。
良かった・・・・・。

家中、無残な状態。大切な食器たちもこっぱ微塵。祖母の部屋の鏡台の鏡は割れ、反対側の壁に
突き刺さっていた。祖母の居場所が悪かったら大変なことに。
我が家はそれでも一部損壊で済んだが、両隣は全壊と半壊の被害。
家族を失った知人も少なくない・・・。
誰もが経験のない恐怖を味わった。
書いているだけで蘇ってくる。
前置きが長くなってしまったけど、そんな状況でも母は
「全然、怖いとは感じなかった。」と。
隣に寝ていた父が母の上に覆いかぶさり守ったそう。
「お父さんてこんな事、する人やったん・・・??」と思っているうちに地震が過ぎ去ったらしい。
この後日談には娘の私も驚いた。
口数多い方でもなく、レディファーストを心得ている事もなく、母からは
「歩くのが速すぎる。」「言わないと荷物も持ってくれない。」・・・と小言を言われている父。
夫婦ってこんなんなんだ・・。
人間、死ぬときは一人なんだから、一度は結婚してみてもいいかな。?
と30歳まで結婚願望の無かった私が、そう思いだした両親のエピソード。
この夏の終わりに息子と帰省したおりも、両親と4人で山陰の香住に旅行した。
日本海独特の深い海の色。新鮮な美味しい海の幸。息子も私もあまり経験したことのない
列車の旅を堪能させてもらった。![]()
旅の間も”仲睦まじい” 夫婦という感じでもないのだけれど、
誰といくよりも2人がいいんだそう・・・。
地震が起きても、台風が来ても、飛行機が堕ちても
何が起きても怖くないし、諦めもつく・・・・なんて、ごちそうさま。
長年の間にはいろいろあったことでしょうが・・・、今も、時々けんかしながらも、
お互い一番のパートナーとして日々過ごしている父、母。
娘として嬉しく、羨ましく思っています。
いつまでも、元気で仲良く、心置きなく色んな旅を楽しんでね。
なんだか二人の代わりのおのろけブログになってしまった。
関東地方の風雨はこれからがピーク。
ベランダのプランタン類を避難させ、準備OK!
だんだん風が強くなってきた・・・。
でも、私はここでは諦めつきません。

