”発達障害の両親を持つ元ヤングケアラーとして思うこと” | マイノリティのお話

マイノリティのお話

ずっと人前で自分を出せない、自分でいてはいけないのだと思ってました。カウンセリングを受けたら、育った環境に原因がある事がわかりました。

私以外全員ASDだった。

ASDについて勉強したら、今まで見えてなかった事が見え始めた、そんなブログです。

ぬこさんの記事リブログ。

>親の問題を放置したままだと、未成年時期は子供らしくいられない問題が成人後は自分らしくいられない問題に変わるだけ。一生関わってくる問題だと思う。

 

本当にまさに、この通りやと思う。

 

我が家は、私以外全員、ASDが濃いめで、おかんと妹はADHD入ってて、NPDの重ね着してるこじらせタイプである。これは、それぞれがそれぞれの発達障碍でおかしめな言動をしているだけではなく。家族として、一つの組織・グループとして生きていくにあたっても、本来するべき事ができない・・・という事もある。

 

我が家では「話し合い」はなかった。一度も。一度として、「大事な事の話合い」がなかった。

 

そんな家族に育ったので、私も近しい人と「話し合い」をする、という事を、親からは学ばなかった。私はこれを学んだのは、恥ずかしい事やけど、仕事をするようになってからだ。

 

家族と言えど、個々で意見も違うし、モノの見方も違う。つまり、意見が食い違う事もあるし、お互いに譲れない事も出てくる。喧嘩もある。多分、普通、そんな場合、話し合いの席を設けて「~の言い分は?」「じゃあ、次、~の言い分は?」「どう思う?」「じゃあ、お互いの見え方がわかったね」「仲直りできるかな」みたいな事を、子供の頃からするんじゃないだろうか・・・。時々ドラマで見かけていたあの光景は、もしかしたら、他の人のお家では普通の事だったのだろうと思う。

 

我が家では、そんな事は一度として起きない。

 

大きな喧嘩をしても、ぬるっと、するっと、何もなかったかのように、接していたり。あるいは、数日から数週間、いや数か月に至るまで無視をし続けていたり。あるいは、自分が悪いと思った方が、ケーキやらなんやら、ご機嫌取りのようなものを買って、相手に渡す事で何もなかった事にしたり。

 

実は、このシステムに私は常に釈然としていなかった。「~については悪かったと思う。でも、ここは譲れない」と主張したくても、我が家の人々は誰一人、話を聞く席に着かない。私が「話があるんだけど」と言っても、「聞きたくない」と跳ねのけられたり、席にはついたものの、話し出すと「そんな話だと思ってなかった。そんな話なら聞かない」と、こちらの話は聞かない姿勢だったり。あるいは無視して、返事をしてくれない・・・とか。子供ながらに、「うちの家族の人達は、面倒くさいなぁ」と思いながら、過ごしてきた。

 

でも、このころの私の「面倒くさいなぁ」は、あくまでも、私から見た「面倒くさいなぁ」だけであった事に今更気が付いた。

 

家族全体で、誰一人「話し合い」が出来ていなかったのだ。大人たちでさえ。

 

本来であれば「話し合い」で家族の今後をどうするか。家をどこに買うか。父の仕事を転勤にするか、赴任にするのか。子供の学校はどうするのか。本人はどうしたいのか。でも、生活のためにはどうするのが良いのか。将来はどうしたいのか。どんな人生設計があるのか。こういう事を話し合うのだと思う。仲たがいや、意見の食い違いは、話合いで折り合いをつけるのだと思う。

 

それが出来ない親たちが高齢になり。そのしわ寄せが私に来ている。

 

 

親たちが、思った通りの生活が出来なくなった時。「言いにくい話」を、当人同士もしない。お金の話。病気の話。将来の話。今までしていた事が出来なくなる話。何かを手放さなければいけない話。現状が変わる話。新しく何かが変化する話・・・避ける。逃げる。私がしようとしても、避ける。逃げる。妹も、避ける、逃げる。そして、私が最後には無理やり、そういう話をすると「あんたは冷たい」「よくそんな話が出来るね」「そんな事、私にはとてもできない」。

 

 

 

ハイ、君たち、全員、できませんよね。

 

そういう障碍でしょうからね。

 

 

 

で、それが出来る、成熟した私が「冷たい」「ドライ」と、人間性を疑われる、マジョリティとマイノリティが逆転した家族。

 

 

これが、ヤングケアラーが、ヤングじゃなくなった時の実状です(笑)。