老化とともに強調される、発達障碍っぽいやつ。 | マイノリティのお話

マイノリティのお話

ずっと人前で自分を出せない、自分でいてはいけないのだと思ってました。カウンセリングを受けたら、育った環境に原因がある事がわかりました。

私以外全員ASDだった。

ASDについて勉強したら、今まで見えてなかった事が見え始めた、そんなブログです。

アメトピにあげちゃダメな記事。ひっそり、身バレをしないように書いてます。

 

帰省し、後期高齢者と一緒に暮らしていると、周囲から掛けられる声は「高齢の両親だと大変でしょう」なのだけれど。

 

老化や、病気については、人間誰もがなるものなので、正直、なんとも思わない。記憶が衰えるのも、私だってもう始まってるし。理解度低くなるのも、全然普通の亊だと思う。身体の衰え、コントロールも聞かなくなるので、そりゃあちこち病院のお世話になる亊もでる。

 

正直、そういう亊は、当たり前なので、まったく特に「大変」だとは思わない。それを支援する行政のサービスも、プライベートサービスも今の時代たくさんある。もちろん、完璧なものを手に入れるにはお金が必要だけれど、そこそこ心地よいサービスを提供して頂けるので、何ら問題はない。

 

やはり、脳の「理性」をつかさどる部分が衰えると、丸だしになってくる「発達障碍」の部分が大変なように思う。あくまでも、個人の考えだけれど。

 

 

おかんは、もともと「片づけられない」ADHDハイッテル系であった。でも、多分、若いころは「理性」の部分と「きちんとしておきたい」というASDの秩序を守りたい部分が機能していて、それなりに片づけが出来ていたのだと思う。とは言っても、元来濃いめのADHDハイッテル系なので、整理整頓は圧倒的に苦手で、見えるところだけザーッと片づけて、あらゆるところにモノを隠すタイプの片づけ方だった。

 

それが、老化現象で「物忘れ」が激しくなり、「覚えられなく」なり、さらに認知症一歩手前ぐらいから「覚えていられなく」なった。

 

そうなると、かろうじて「理性」と「ASDの秩序を守りたい特性」と「ギフテッド気味な記憶力」で押さえていたADHDの特性が、どどーんと出てきてしまった。もう、片づけられないどころではない。何かをどこかにしまうが、もちろん、どこに何をしまったか覚えていないし、開けた引き出しは閉じるという亊すら、もはやしなくなった。「片づける」は「積み上げる」と同義語となった。

 

もともと、きちんと物事を組み立てて理解する能力ではなく、人から教わったもの・入ってきた情報を丸暗記する形で生きてきたおかん。料理のレシピも丸暗記して、それを実行していたが。あの頃覚えた記憶の効力が消えた。新しく丸暗記する機能はなくなり、もともと料理のロジックを理解していたわけでもないので、料理は壊滅的になった。

 

おかん: お母さん、認知症になったのかな。覚えてないわ。

 

いや・・・よく観察していると、この部分はどうも認知症関係ないと思われる。単に、レシピの記憶の有効期限が消えたのだ。

 

昔、おかんが言うてた。

 

おかん: 私ね、試験勉強なんて、一夜漬けしかした亊ないの。大学受験ですら。だって、見ただけで、教科書なんて、いくらでも覚えられるんだもの。でも、前もって覚えても忘れちゃうからね。前の夜に全部丸暗記するの。で、満点取るんだけどね。テストの回答が戻ってくる頃には、忘れてるのよ。だから、先生が私の答案用紙を使って答え合わせするんだけど、私を指して、みんなの前で解説させようとするんだけど。できるだけないのよ。だって、もう忘れちゃったんだもん・・・。

 

 

ね。この一夜漬けパターンを、人生の壮大な時間をかけて、やってると思うと。そりゃ、もう、いろいろ覚えてるわけない。料理の仕方もレシピを丸暗記してたんだから、そりゃ消える。

 

おかんは、そりゃ、もう、出来ない亊が増えているけれど。半分ぐらいは、認知症関係ない気がするわ・・・。