恋で思ったこと ファリャ 火祭りの踊り 又はリチュアルダンス  | あ・ず・み  ピアニスト西澤安澄 www.azuminishizawa.com

今日は、ファリャの火祭りの踊り の解説です。



 

この曲は、ファリャの中期の傑作

バレエ「恋は魔術師」の中の一曲。

昨日描いた、国民楽派の作曲家として

世界の寵児になった時代の作品です。

 

恋は魔術師 は、ジプシーの美し未亡人のお話です。

ウィキペディアから引用すると筋書きは:

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『恋は魔術師』ジプシー娘のカンデーラの物語で、その恋人のカルメロは彼女の以前の恋人であった浮気者男の亡霊に悩まされている。そこで彼女は友人の美しいジプシー娘に亡霊を誘惑してもらい、その隙にカンデーラはカルメロと結ばれる、という筋である。本作品はジプシーたちのアンダルシア訛りの歌が、違和感無く曲調にあてはまるほど実にアンダルシア的である。 また、「火祭りの踊り」と「恐怖の踊り」に代表されるよう、特筆すべき美しさと独創性が顕れる瞬間を感じさせる音楽作品でもある。

 

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カンデーラは未亡人のはずなんだけど、、??

 

さて、この亡霊を退散させるために、人々が夜に海辺に集まります。

真夜中の鐘が鳴り

 

篝火を焚き、亡霊が退散するための踊りを捧げる儀式が、この火祭りの踊りです。

 

真夜中の鐘が鳴る前に、

海辺で漁夫のモノローグがあります。(曲名:魔法の輪 )

この美しさは、半端ない、鳥肌ものです。

素朴で、一瞬の奇跡のような美しさ。

ああ、これもまた演奏したいなあ。

 

さて、恋は魔術師のストーリーに戻ります。

 

真夜中になり、亡霊がでます。

そこで、皆が輪になり、

真っ暗な海岸に篝火を焚いて、

亡霊が退散するように願いつつ

倒れ果てるまで踊りきるのです。

 

このバレエは、スペインの映画監督サウラが素晴らしいフラメンコ映画にしました。

アントニオガデスとクリスティーナオヨスというフラメンコダンサー大スターの共演。

 

この映画では、

悪霊は存在するのか?、

カンデーラの心の中にある罪悪感が

幽霊となって、彼女を苦しめているように描いています。

 

ジプシーの人々の貞操観念はとても強いと聞くし、

大変説得力があります。

だってウィキペディアの筋書きを見ると

「なんだそれは?」苦笑しますよね。。。

サウラ監督の読み解きに、脱帽しました。

 

ちなみに、この脚本の作者はマルティネス・シエラと言われていますが

本当は、彼の妻でした。

そして、その妻は当時夫の浮気に大変苦しんでいました。

どんな気持ちでこのストーリーを書いていたんでしょうね。

 

ラストの、朝、太陽が登る直前、

ルシアが亡霊を惑わし、亡霊もろとも破滅する場面。

その歌はこんな感じです

「私はお前の宿命 

私はお前を焼き尽くす炎

私はお前を溺れさせる海だ!」

音楽もろとも、地獄に落ちるようなクレッシェンド、

沈黙。

そして朝日が登ります。

朝の鐘が遠くでなり、平和が戻り、恋人たちの愛がみのり、

ハッピーエンド (終わり)

この部分の歌唱を、スペインの国民的歌手ロシオ フラードが歌ってます。

こちらがそれ。

クラシックの歌手ではないです。

でも、スペインでは我々クラシックの人間から見て、

古今で恋は魔術師のベストの歌い手は彼女というのは、異論の余地がありません。

 

 

というわけなので、火祭りの踊りは

踊りの躍動感を出すこと、

テーマは恋愛なのである程度の歌心、

そしてある意味、色っぽさも重要です。

 

もちろん、不気味な幽霊のピアニッシモのから恐怖のフォルティッシモまでを表す

強弱のダイナミックな変化、

歯切れ良いフレーズを作るのに必要な非常に早い指さばきと、力強いタッチ、

和音の上手な響かせ方も要求されるので

なかなか難しい曲です。

 

私の演奏のビデオが二つあるので、こちらにリンクを貼ります。

一つは、だいぶ昔のコンサートライブはこちら

もう一つは、少し前に、グラナダで撮影したものです。

グラナダのファリャの家のファリャが愛用したピアノ、グラナダ音楽堂、

友人の別荘で火を起こして撮影したので

ご覧いただけたら嬉しいです。こちら

 




それにしても。

恋は恐ろしいですね。

命懸けだ。

好き好んで、するものではないですね〜。

 

もっともそれよりは幾分軽くて、おしゃれな恋愛もあるけれど

そういう恋愛にはあまり価値がないようなことをスタンダールも書いてたような気がする。

皆さんはどういう恋愛がお好きですか。

 

 

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ファリャのすごいところはたくさんありますが、

その一つは、

毎回毎回、作曲の方法を研究しつくし、変えていく点。

一度当たりを取ったら、同じようなテイストの作品を作る人は多いし

周りもそれを望むものです。

 

でも、それをしない。

恋は魔術師がどんなに評判を取ろうとも、

人々に、またそういう作品を作ってくれと頼まれようとも、

更なる表現を求めて生まれ変わっていく。

少し、手塚治虫の火の鳥、を思わせます。

生まれ変わるけれど、本質はいつも同じ。不思議です。

 

そんな宗教家のようなストイックな姿と

官能的な彼の音楽は、水と油の印象ですけどね。

 

初期から最期まで、

作風の変わらなかったショパンやフォーレとは

対極の天才だなあ。

 

小さい時から変わらず、私の一番大好きなピアニストは

クラウディオ アラウなのですが

彼はインタビューで

「演奏家は、人々を喜ばせようとするな。

ただ、作曲家に忠実であれ。

そして、メッセンジャーであることに徹することだ。」

と言っています。

やっぱり誰でも演奏家は、聞いてる人々に喜んで欲しいなあ、と思ってしまうんですが

そこに囚われると、演奏会場の空気が、よどんで来ます。

ダメダメ!

 

なんだか、またピアノが弾きたくなってきましたが

もう夜中なので落ち着いて寝ることにします。

それでは、おやすみなさい。