フェデリコ・モンポウ、ココ数年とても気になる作曲家。
自分の演奏会でも、取り上げる曲数、機会が増えています。
以前は「綺麗な曲はとってもキュートだけれど、暗い不吉な曲もたくさんあって、なんだか怖い世界へのトンネルのよう」と思っていた。
そしてMusica callada など詩的なタイトルの曲が多くて、それは変化球のように心に響いてました。
(れにしても、ファリャの曲の日本語タイトルの意味不明な件は、非常に残念です、恋は魔術師、三角帽子って・・・・。)
私自身は、モンポウ自身の録音が一番好きですが
クロスリーのアルバムを聴いて、今までに無いアプローチの演奏、これはこれで良いなあ、と感激しました。
そしてなんだか、モンポウが、颯爽としたスポーティーで理知的な男性に見えてきました。
不思議ですね。
こうやって、少しずつ少しずつ、それぞれの曲の演奏の仕方、スタンダードな姿が出来上がっていくのでしょうか。
作曲家の手を離れてからが、楽曲の新たな人生の始まり。
だからこそ原点に帰る作業=作曲家自身の演奏、作曲家と親しかった演奏家の証言に立ち戻ることは我々演奏家にとって、すごく大切です。
それにしても、モンポウは個性的な音をたくさん作りましたね。
楽譜を読んで、その頭の良さ?センスの良さ?それとも違う本能的な?ところに舌を巻きます。
まるで、油絵の名画で、思いがけない差し色を使いながら、絶妙な陰影を表現しているみたい。
それから、ギターの鈴木大介さんと話をしていて
「モンポウの、スラスラ弾くことでは、表現できない何か」の表現の難しさにも話題が及びました。
これがねえ、、、何とも難しいんですよね。
音楽の難しさ、それと、おもしろさ。
びっくりなことに、私のシチリアでのピアノリサイタルにモンポウの末裔が来てくれていました。
彫りの深い印象的な顔立ち、背が高くて手が大きくて、わあ、なるほど、と思いました。
