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自転車に家族を殺されるということ

交通犯罪犠牲者の命が紙クズ扱いされる司法を変えていきます。フェイスブック・Twitterも発信中。
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2014年1月28日に判決が出て裁判は終わりましたが、私の交通犯罪遺族活動は続いています。

前回、遺族の会で「トライアルの会」に入ったことを書きました。


しかし支えてくれるのは、同じ遺族同士ばかりではありません。
マスコミに対しては、批判的なことを色々書きましたが、
新聞記者の方からは、励まされることも少なくありませんでした。

母を殺されてから、なすすべもなく、起訴だけ待つ日々が続きました。
加害者は、逮捕されることもなく、在宅のままでしたので、
「もしかして忘れられているのでは・・・」と不安にも思いました。
しかし母殺害から半年以上たった夏にようやく起訴との通知を受け、
10月公判となっても、相談できるところが何もありませんでした。


そんな中、毎日新聞で自転車事故の連載があるのを知りました。
「話を聞いて欲しい。情報もあれば教えて欲しい」
と連絡して、取材を受け、逆に色々と情報も教えてもらいました。

他の新聞社の記者からも、色々助けてもらいました。
心の温かい記者の方との出会いも何人もありました。
毎日新聞の記者の方とは、公判から1年以上経った今も、
やり取りが続き、最近も「その後」ということで再取材を受け、
メッセージを発する機会をちょうど頂いているところです。
取材する側、される側という立場以上の温かさを感じています。


加害者やその弁護士などからは、
人として極端なまでの浅ましさと醜さを見せられました。
しかし同時に、支えて励ましてくれる人からは、
それまでは経験しなかった温かさと慈愛を感じました。
人としての情に接するその濃淡の度合いが、
被害者遺族になってしまった前と後では全く異なりました。


「被害者遺族になる」なんて、誰も望まないことですが、
立場を超えて、他人の辛さに寄り添おうとする人がいること、
その温かさ、そしてそうした人たちに支えられるありがたさ、
もしかしたらそうした出会いや縁こそが、
殺された母が導いてくれたものなのかもしれないと感じています。


私が会員の「全国交通事故遺族の会」の活動の一つですが、

今週、「トライアルの会」というグループに加入しました。


これは裁判を抱えている人たちで、

(そうでない人ももちろん含めてですが)

裁判傍聴をしあい、お互いに励ましあおうという集まりです。


私も、おそらく2月あたりから、自分の裁判が始まります。
母を殺した憎い加害者を刑務所にぶち込む、
という、遺族として当たり前の望みは、
心ない職業裁判官に踏みにじられてしまいました。
しかしそれでも、残された選択肢の中で、
出来ることは全てしていかなければなりません。


交通犯罪遺族になって、辛いことばかりの2年間でしたが、
そんな中でどうしても、不思議に感じていることがあります。
声をかけてくれる人、励ましてくれる人、支えてくれる人の存在に、
泣きたいくらい「感謝」を感じる経験を、何度もしていることです。
(涙腺が強いせいか、涙こそ流したことはありませんが・・・)


鈍感な自分には、生まれて初めての経験のような気がします。
だからこれからの裁判でも、他の人に助けて欲しいし、
逆に他の仲間の裁判も、可能な限り、立ち会って応援したい。
そんな衝動を抱えています。
一人だと崩れ落ちそうになるから支えて欲しいだけかもしれない。
縁の薄かった「感謝」をもっと感じたいという自己満足かもしれない。
家族を殺された者同士が支えあい、応援しあうということが、
どんなことなのか、今のこの時点でも、よくわからないでいます。
ただ応援しあうという行動には、
将来何らかの実を結ぶ価値がきっとあると信じています。

もう少しマスコミ報道について触れます。


事故から2年、加害者天国判決から1年3ヶ月、

振り返れば、それなりの数の取材を受けてきたと思います。

ほとんどのキー局や全国紙には、話をしてきたことになります。


ただ自分の想いがそのまま伝わった報道はレアケースです。
正直、失望を感じることのほうが圧倒的に多い現実があります。

私が訴えたいことは、命が軽く扱われている司法の問題ですが、
多くのマスコミの関心は、ホットな自転車の危険性にあるのですね。
私は、自転車の危険性という問題については、取材する方にも、
「前を見て信号を守って下さい、と30秒で話すことしかありませんよ」
と事前に断っていますが、それでもそこばかりに執着されがちです。


特にテレビ・・・。
揃いも揃って、間をためて、一語一句強調して聞いてくる質問は、
「まさか・・・自転車で・・・なんて・・・思いませんでしたか?」


「またですか・・・はいはい、この『絵』が欲しいわけですね」
と、うんざりな気分になってしまいます。
(「大人」として、ご期待の『絵』は提供していますが・・・)


そうは言っても、取材を受ける価値は大切にしています。
交通犯罪を含む被害者遺族に、共有する意見があります。
「マスコミは味方につけた方がいい」これは全く同感です。


やはり取材を受け、公に訴えることの効果は侮れません。
特にテレビに出た後は、

「テレビを見ました・・・ビックリしました・・・」

と声をかけてくる人の多さに、こちらこそビックリします。

しかし声をかけてくるのは、ごく一部なのだろうと思います。

声をかけず、ひそかに知っているだろう人の潜在数を思うと、

やはり、テレビの力のすごさというものを痛感します。


遺族でも、マスコミを自分の広報に使う権利はありません。
意見や要望を出すことはあっても、強制はできません。
遺族として取材を受けて、材料を提供することはあっても、
その後の記事や番組は、マスコミの作品だと思っています。


マスコミ側の意向もあれば、遺族の想いもある。
この2つが完全に合致することは、きっとないと思います。
であれば、その不一致の事実を大前提にしながらも、
想いを伝え、想いを訴え、その言葉の切れはしだけでも、
マスコミという風で、広く舞わせていく意味があると思います。

前回、読売新聞の記事を紹介しました。


今回は比較的バランスの取れた記事だと思いました。

それでも思うことは、自転車問題が取り上げられる際、

ルール策定をめぐる迷走を取り上げるうちに、

記事や番組まで迷走しているパターンが目立つことです。


個人的な感想を言えば、車道か歩道かなんて議論は、
はっきり言って、どうでもいい話だと感じています。


ルールの線引きをめぐって、そんな右往左往をする前に、
シンプルに、ちゃんと前を見て、信号を守っていれば、
母が殺されたような、悲惨な事故は起きないと思います。


そのためは何をすべきか。

「前を見て、信号を守る」

この単純明快な基本ルールだけを徹底して守らせるべく、

学校などの教育現場で啓発を繰り返すと同時に、

取り締まりも厳しくして、刑事罰も厳しくしていけば、

悲惨な事故、否、交通犯罪は減っていくと考えています。


これは車でも、自転車でも、同じ話です。
区別する必要もない。難しく考える必要もない。
当たり前のことを、当たり前に守るだけで、
余計な悲劇は、この世からなくせるはずなのです。

読売新聞より受けていた取材内容が

記事に掲載されましたので、お知らせします。


読売新聞では、自転車問題で連載特集を組んでいたそうで、

120日(金)の第4回目で私の取材が掲載されています。

ただ、都内版、江東版、武蔵野版のみの掲載となりますので、

それ以外の方は下記のURLのネット上で確認願います。

「うかがったお話のほんの一部しか掲載できず申し訳ない」

と、記者の方は恐縮されていましたが、文章の長短は関係なく、

「自転車コワイ」で終わらない、まっとうな記事だと思います。


以下、紹介します。


117日「ルール無視人混み走行」

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/feature/tokyo231326817489412_02/news/20120118-OYT8T00076.htm

基本的ルールの不徹底が事故の減らない要因だと指摘。


118日「ママチャリも高速化」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/feature/tokyo231326817489412_02/news/20120119-OYT8T00062.htm
ルール無視に加え、自転車がスピードを出している実態に言及。
であれば車道を走らせる必要があるが、今の道路事情では、
逆に悲惨な事故が増えるので、道路環境改善が必要と訴えています。


119日「専用路進まぬ整備」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/feature/tokyo231326817489412_02/news/20120119-OYT8T00083.htm
歩道上でスピードを出す自転車の存在を問題視。
しかし車道移行も、路上駐車などもあって非現実的。
徐行すべき歩道上でスピードを出して事故が起きると指摘。


120日「低いモラル 事故の温床」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/feature/tokyo231326817489412_02/news/20120120-OYT8T00115.htm
私が話した内容に基づき、自転車事故の軽い司法罰を指摘。
またひき逃げされたら終わりで、未解決の多い実態も報告あり。


【私が取材を受けた箇所】
禁錮2年、執行猶予3年――。東京地裁で2010年11月、交通事故の判決が言い渡された。重過失致死罪に問われたのは会社員の男性(44)。大田区内を自転車で走行中、横断歩道を歩いて渡っていた女性(当時75歳)をはねた。女性は頭を強く打ち、5日後に死亡した。
公判では、男性が「赤信号」を見落としたことが問われた。男性が当時、乗っていたのはスポーツタイプの自転車。同タイプの自転車はスピードが出せるようハンドルの位置が低く、前傾姿勢になることから、弁護側は「頭上にある信号が目に入りにくかった」と主張し、故意でなかったことを強調した。
検察側は「自転車は凶器になるということを肝に銘じて運転すべきだった」として禁錮3年を求刑したのに対し、判決は「わずかな注意で事故を回避できた」と苦言を呈したものの執行猶予を付けた。実刑を求めていた遺族は、この判断に納得できないでいる。

「自動車と同じように、注意深く運転してほしい」。この事故で母を亡くした東光宏さん(41)は事故からちょうど2年の今月10日、男性に賠償を求める民事訴訟を起こした。「刑事裁判では自転車の事故ということで命が軽く扱われたように感じた。民事で遺族の思いを裁判所に伝えたい」



私が入っている「全国交通事故遺族の会」で、

「交通事故遺族のメンタルヘルス支援の調査研究」

という調査参加事業があり、私も面談調査を受けています。


国際医療福祉大学の塩澤百合子先生に、

昨年11月、最初の面談を受け、

今日1月21日(土)、2回目の面談調査を受けてきました。


塩澤先生は、交通犯罪や自死などで突然家族を奪われた遺族の

メンタルヘルスや悲嘆回復を専門とされている方です。

現場経験も長い方で、細やかに、話を聞いてもらえます。

話を聞いてもらううち、自分にこんなものが潜んでいたのかと、

驚く事実も多く、塩澤先生の手腕には前回も今回も驚嘆でした。
今日も気付けば、予定を超えて3時間以上話してしまいました。


私がこの調査に参加した理由。

それは母をことで、一度も涙を流したことがないためです。

そんな自分が、当時も、今も、不思議でなりません。


私が、取り乱したり、泣いたりしなかったことで、

「息子さんはしっかりしている」「気丈に振る舞っている」

と受け取られた方もいたそうですが、実態は全く違います。


ただただ心が乾燥して、能面状態だっただけのが現実です。


なぜ母が殺されて、取り乱さないのか、涙も出ないのか、
と不思議で仕方なかったことが、調査参加の動機です。


今後も何度も面談があり、どういう終着点になるか、
まだわかりませんが、今日の塩澤先生もそうですし、
遺族の方、記者の方、遺族となった事実は変えられませんが、

多くの人に助けられているありがたさをとても感じます。

母を殺されたことで、父も壊れてしまったことを書きました。


父には、できるだけ連絡し、会いに行くようにしていますが、
行く前から、考えるだけで憂鬱になる、辛い時間になります。


父は、みじめとしか言いようのない生活をしています。


実家に行くたびに、どんどん悪化していく状況がわかります。
トイレや風呂場からは異臭が漂い、夏は小バエが飛び交い、
食器は、食べ物のカス(?)がこびりついたものばかりで、
テーブルや床も、やはりカスであちこちがザラザラしています。
母が生きていれば、想像もできなかった劣悪な生活環境です。


せめてそうした不衛生さを改善すべく、介護保険を利用し、
ヘルパーさんをお願いしていますが、あくまで一時しのぎです。


普段の食生活も、パンやバナナをかじるだけのようです。


しかし実家に行っても、父に何を話しかけても、
砂漠に水を注ぐようで、気詰まりな沈黙の時間に耐えた末、
逃げるように後にするパターンになってしまいがちです。


母が生きていた頃は、こんなことはありませんでした。
妻と実家に遊びに行けば、そこにはいつも笑顔がありました。
しかし、それは永遠に破壊されてしまいました。


父には、付き合いのある親戚もいない、友達もいない・・・。
そんな父の家族は、一人っ子の息子の私だけ、
そんな私が頼れるとしたら、妻と、妻の家族だけ・・・。
いつまでこんな状態が続くのだろうと思うと、
閉ざされた暗闇の中にいるような気持ちになる時があります。


加害者は、父がこんな状態になってしまっていることも、
私がこんな目になっていることも、きっと何も知らないし、
知ろうともしないまま、のほほんと過ごしていると思います。
殺人者としての自覚も、きっと全くないと思います。

次回以降、加害者のことについても書いてみたいと思います。

前々回、ひっそり寂しかった三回忌のことを書きましたが、

実は、実家の父を連れ出すのは、一苦労でした・・・。




(その数日前の電話の内容)

私:「日曜は正午前に車で迎えに行くから」

父:「あー・・・」

私:「大丈夫だよね?」

父:「あー・・・あ、あ、用事ができたから、俺は別にいいよ」

私:「用事?お母さんの三回忌より大事な用事って何?」

父:「あー・・・あ、あ、正午だね。わかった」




何もしたくない、誰とも会いたくない・・・意欲減退というウツ病の症状です。

父は母を殺されてから、おかしな言動が目立ち、ウツ病と診断されました。
それもかなり重篤なウツ病です。
症状のひどい時は、人相まで全く変わってしまいます。
母が殺されなければ、起こりえなかった悲劇のひとつです。



担当の精神科医曰く、

「意欲減退が甚だしい。治る見通しは厳しい。このままではジリ貧しかない」




母が亡くなった当初、私と妻も、父と同居という話も出ましたが、

父の気難しさと人嫌いな性格もあり、話し合った結果、

結局、双方苦痛にしかならないという結論を出しました。

父は、現在、実家で、たった一人で暮らしています。



いま一番心配なのは、父の自殺です。

何としても、自殺だけはしないでほしい。



介護保険や、近所の方への協力依頼(新聞受けがあふれていないか)等、

できることは動いていますが、現実は、かなり厳しいものがあります。



家族を突然殺されるということは、一人の命が奪われただけではなく、

残された家族が、ずっと苦しみ続ける継続的悲劇でもあります。




















またまた日をまたぎましたが、月曜(1月17日)から5回にわたって、

読売新聞で、自転車事故の特集記事が掲載されています。



実は昨年、私も取材を受けていたのですが、

4回目金曜(1月20日)の紙面で、

私の取材記事が載ると、記者の方より連絡を受けました。



実はマスコミには、少し(時にかなり?)イヤな思いもさせられてきました。

新聞はまだいいのですが、テレビはひどい番組構成が多かった・・・。

「うわ~自転車ってコワイですね~」という、うすっぺらい番組ばかり。



ただあくまで記事になった以上は、その記者の作品です。

どんな記事になるかは、私も最後までわかりません。

またマスコミを自分の私的な広告塔に使う権利もないと考えています。

訴えたことが伝わっている、良い記事であることを願うばかりです。



ただ今回の読売新聞は、東京23区版の記事になりますので、

それ以外の地域で取っている方は読めないそうですが・・・。

東京23区内で読売新聞を取っている方は、興味があったらどうぞ。


ぐずぐずしているうちに、日付が変わってしまいましたが、

日曜の1月15日は、母の三回忌でした。



と言っても、お坊さんを呼んで、何か法要をしたわけではなく、

ただごく内々で、墓参りに行っただけでした。

(父と、自分と、妻と、妻のお母さんの4人だけ・・・)



理由は、法要をやろうにも、呼べるような人が誰もいなかったから。

そしてそもそもですが、非常にドジなことに、ほんの数日前まで、

三回忌=亡くなって3年目の命日=つまり来年

とすっかり勘違いしていて、手配の時間がなかったこともあります。

(三回忌は2年目の命日。亡くなった日を一回忌として数える・・・)



であれば、お坊さんを呼んで、ごく少人数なのに、

色々気を使ってしまうよりは、わずかでも集まれる人だけで、

直接母に語りかけることができる日にしようと考えたからです。



両親は、親戚付き合いもなく、友人もほとんどいない人生でした。



よく「正月は親戚挨拶が大変だ」と聞くと、どこの異世界の話かと、

ため息をついてしまう、ひっそり孤立した家庭環境に、私は育ちました。



他の交通犯罪遺族の方からも、

「葬式に集まった人の多さに、生前どれだけ慕われていたか感じた」

という話をよく耳にしますが、聞くたびに複雑な気持ちになります。

母の葬式は、わずかな人が来てくれただけの本当にさみしいものでした。



思うにその理由は、母の臆病さと、過剰なまでのお人好しにあります。

他人に良くしようとするあまり、結局軽んじられる人生だったようです。

(私は子供の頃から、そんな親に反発し、数えきれないほど口論もし、

 座右の書を問われれば、『君主論』と即答する大人になりました)



母は人と争うくらいなら、全く悪くなくても、泣き寝入りを選ぶ人でした。

そんな母が交通犯罪で殺され、残された遺族の私が、

裁判や遺族会活動を余儀なくされるのは、皮肉としか言えません。



しかしそんな母にも、わずかながらでも、悲しむ人はいます。

前回も書きましたが、1人の死は、その周囲複数の悲劇なのです。

それを母に伝え、また証を立てていくためにも、

三回忌の墓参りもしましたし、今後の遺族活動もしていくつもりです。