露骨なまでに無反省で、謝罪のふりをする努力すらしない加害者と、
全くやる気なく、幼児じみた猿芝居を演出しただけの加害者弁護士。
そして、そんなその場限りのあからさまな茶番パフォーマンスを、
「反省している」と無理やりこじつけ、執行猶予を付けた職業裁判官。
そんなカフカばりの、シュールで不条理な世界を目の当たりにして、
見方を変えることになった事件があります。光市母子殺人事件です。
この事件は、ずっと高い関心で見つめ続けていました。
夫である遺族の本村洋さんの発言をテレビで見続けていて、
愛する人を突然むごたらしく奪われるということがどんなことか、
それが我が身に降りかかったらどんな思いをするのだろうか、
・・・そんなことを、ずっと考えさせられ続けてきた事件でした。
この事件では、特に安田弁護団の弁護方法が議論を呼びました。
彼らは、最後は「ドラえもん」「魔界転生」などと奇論を展開し、
全国の失笑と罵声を浴びることになりました。
それを切って捨てた広島高裁の常識的判決には全国がホッとしました。
これを機に、ただでさえ劣勢の死刑廃止論は一気に絶滅同然となり、
「彼らは本当は隠れ死刑存続論者だったのでは?」との声も出ました。
しかし、前田巌裁判官が母を殺した加害者に執行猶予を付けて以来、
安田弁護団の「ドラえもん」「魔界転生」への見方が変わりました。
彼らは自爆したのではなく、職業裁判官の傾向を知り抜いた上で、
担当裁判官がハズレであることに、全てを賭けたのだと気づきました。
しかし広島高裁の裁判官は血の通った常識人で、賭けは外れました。
ただこれは偶然に過ぎなかったのではないかと考えています。
もし母の尊厳を踏みにじった前田巌裁判官が、光市を担当していたら、
「反省の色が認められる」「殺害に至ったこともやむを得なかった」
と投げられたボールを数えるだけの判決が出ていたかもしれません。
安田弁護団の思想も行動も、全く共感はしませんが、
全国的嘲笑を覚悟した上で、死刑廃止論という自らの「信仰」のため、
ピエロを演じた、そのプロ根性はすさまじいとすら感じています。
殉教者とも言えるかもしれません。
(むろん繰り返しますが、その思想も行動も、全く共感はしません)
常識が通じるか、ボールの数を数えるだけの茶番判決が出るかは、
担当裁判官によって左右される偶然でしかないと感じています。
やはりそのような、担当裁判官によるアタリハズレ問題は、
日本の司法が克服しなければならない重大問題だと思っています。