石井光太さんというノンフィクション作家がツイッターで書いていました。
(石井さんは、東南アジアや中近東の底辺世界を取材して回り、
『物乞う仏陀』『絶対貧困』『神の棄てた裸体』などで、
物乞いや売春婦や闇社会などの実態をルポされている方です。
震災後は、遺体安置所を取材して、『遺体』という本を出され、
「弔う」ということの意味に思いをめぐらされています)
ビートたけしが震災について
「死が二万あったのではなく、二万の悲劇があった」
と言ったらしい。対談で教えてもらった。が、これは間違い。
一人の死は親族や友人など十人以上に悲劇を与える。
震災が生んだのは「二十万以上の悲劇」なのだ。
全く同感です。
人一人が殺されるということは、その人一人だけの苦しみではない。
その家族、その親しい人が、みんな苦しむということなのです。
でも裁判所では、そんな悲劇の存在は完全無視されることがあります。
被害者遺族は、加害者の裁きに際し、命を軽視する裁判官に当たるか、
きちんと重くみてもらえる裁判官に当たるか、バクチを強いられます。
プロフィール欄でも書きましたが、私はハズレクジを引きました。
誰が見てもわかる猿芝居を見て、「反省している」と執行猶予を付け、
遺族にかけた言葉が「黙っていて下さい」だけだった前田巌裁判官・・・。
彼は昨年4月1日付で、東京地裁から名古屋高裁に栄転していきました。
尊厳を踏みにじった母の存在など、加害者同様、忘却の彼方でしょう。
私は、2人の者に、母を殺されたと考えています。
まず加害者に命を殺され、そして裁判官の前田巌に尊厳を殺されました。
もちろんそうでない裁判官もいます。
例えば藤田清臣さんなどはその象徴的存在の一人だと思います。
交通事故裁判では被害者の命の重みは、
駅前で配られるポケットティッシュのように軽い。
(中略)
日本では、被害者の無念、家族の悲観に比して、
交通事故加害者はあまりにも過保護である。
命の尊さに法が無慈悲であってはならない。
藤田裁判官が、ある交通犯罪裁判の判決で残した感動的な名言です。
藤田清臣さんのような当たり前の人の心を全ての裁判官が持って欲しい。
そして前田巌のような裁判官は、完全にいなくなって欲しい。
私の活動が目指すゴールイメージの一つは、そんなところにもあります。
