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自転車に家族を殺されるということ

交通犯罪犠牲者の命が紙クズ扱いされる司法を変えていきます。フェイスブック・Twitterも発信中。
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2014年1月28日に判決が出て裁判は終わりましたが、私の交通犯罪遺族活動は続いています。

ここ最近、ずっと帰りが遅いため、ブログ更新も土日のみになりがちです。
立ち上げた当初は、睡眠時間を無理やり削って日々更新していましたが、
「このままだと絶対倒れるな・・・」と体力の限界を感じてしまいました。
書きたいことが山ほどあるなかで、もどかしい思いに駆られています。


第2回弁論期日(4月16日)が1週間後に迫りました。


現実世界でも、やらなければならないことが山積みの状態です。
ブログを全く更新しなくても、本当に倒れそうな状態になっています。


そのたびに思うのは、きっと加害者は、全部弁護士まかせで、何もせず、
すべてを忘れて、お気楽な日々を送っているのだろうな・・・ということ。
「加害者は忘れる」という普遍的法則が発露されているわけです。
殺人者なのに、逮捕も刑務所収監もされず、勤務先も解雇されず、
執行猶予が付いた瞬間から、演技のふりも不必要になる日本の司法。


被害者遺族は、それこそ身を削り、睡眠時間を削り、動いているのに。
やはり悔しいですね・・・率直に言って。


しかし、だからこそ、奪われたままの母の尊厳を少しでも取り戻すために、
いまやらなければならないことは、すべてしておかないといけません。


自転車犯罪、あるいは重過失致死罪の問題点について、
色々伝えたいのに、そう思うばかりで時間のない日々が続いています。
それはいまのペースでは、第2回弁論のあとに書くことになると思います。
第2回弁論で、加害者は、無反省で無神経な言葉を連ねてくるでしょう。
「加害者はこんな主張をしています。皆さんはどう思われますか?」
という意見提起で一旦ブツ切りになると思いますし、その後に書きます。


被害者遺族になる前、今の季節は花見で実家に遊びに行く時期でした。
(実家は2キロほど桜並木が続く、知る人ぞ知る桜の名所沿いにあります)
しかし今はそんな楽しみは思いもよりません。
いまの住所の稲城市も桜は満開ですが、やはり虚しさしか感じません。
被害者遺族になることは、多くの喜びと感動を奪われることでもあります。



自転車に家族を殺されるということ-sakura
※稲城市役所前の三沢川(多摩川の支流)沿いの桜

書きたいこと、書かなければならないことは、山ほどあります。
しかし年度末で仕事が忙しく、連日帰りも遅くなってしまい、
また訴訟準備も山ほどあって、全然更新できませんでした。
(個別にメッセージを頂いていた方にもお返事すら返せず・・・)


先月25日の日曜日、母の墓参りに行ってきました。
親戚付き合いのない両親でしたから、頼れるのは妻の両親だけで、
ご一緒してもらって、ささやかながらの供養としてきました。


27日、やり取りのある遺族の方より報告がありました。
埼玉県熊谷市で2008年に起きた飲酒運転による死亡事故で、
昨年、同乗者にも実刑判決が出たことで注目を浴びた事件ですが、
民事でも、「圧勝」と言うべき判決が出たとのことでした。
いまだに飲酒運転については、「大丈夫大丈夫、このくらい」
という軽率な輩が残念ながらいて、悲惨な結果が後を絶ちません。
この判決が、飲酒運転への警鐘となることを願ってやみません。


29日、壊れてしまっている父の成年後見手続きをめぐって、
担当の精神科医のところに行ってきました。
現在民事訴訟中ですが、書けない内容ではないので書きますと、
服薬まで勝手に拒絶する有様で、もはや末期的な状況でした。
「成年後見は、問題なくそのまま認められると思う」
「自殺を含め、何が起きても驚かない状況になっている」
「日々の生活は、既に完全に破綻していると思われる」
指摘してもらった一部ですが、かなりショックな内容でした。
私もこれまで、出来うる限りケアはしてきたつもりでしたが、
そんな息子の私が考えていた以上に、父は壊れていました。
当然、裁判所にも、この結果をきちんと報告し、
その内容も踏まえた上で、判断してもらわないといけません。


3月30日、妻の誕生日なので、会社を早く上がりました。
毎年、妻の誕生日は、こっそりケーキと花を買って帰るのですが、
(もはやサプライズでもなんでもなくなっていますが・・・)
今年もなんとかケーキは間に合いました(花屋は間に合わず・・)


奇しくも、3月30日は、殺された母の誕生日でもあります。
被害者遺族となり、遺族活動を行っていくにあたり、
妻を置き去りにし、辛い思いも色々させてきてしまいました。
以前も触れましたが、家族が壊れた遺族は少なくありません。
やはり私にとって、一番大事にしなければならないのは妻です。
そんな妻に、これ以上辛い思いはさせられませんし、
こうしたささやかなお祝いは続けていくことで、
「遺族になったことで、人生全てが破壊されたわけではない」
という証しにしたい想いをずっと強く抱き続けています。


気が付けば、第2回弁論期日まで、あと2週間近くになりました。
すでに表面的なパフォーマンスすらしてこようとせず、
「不知」「争う」連発の加害者が、どんな珍説奇説を展開してくるか。
やることも山ほどありますが、随時報告していきたいと思います。

民事裁判になるや否や、加害者側の手のひらを返した態度に接して、
やはり思い起こすのは、刑事公判判決時の加害者の態度です。


何度も触れたことの繰り返しになりますが、加害者は、
執行猶予とわかった瞬間に、ホーッと背中を丸めて、
「ありがとうございます」と裁判官に対してつぶやきました。


その後は、裁判官の一言一言に反応し、
まるで子供のように、大きくうなづき続けていました。
ビクンビクンと、まるで痙攣でもしているかのような動作で・・・。
いま思えば、執行猶予がよほど嬉しかったのでしょうね。
痙攣の動作は、まさに彼の歓喜の表現だったのだと思います。


ひるがえって、そんな加害者に対して、
軽々しく執行猶予を付けた担当裁判官の前田巌にも言いたい。


「わずかでもまともな人格が残っているなら、
 自らの浅はかな判断を恥じて、裁判官なんか辞めてくれ」


前田巌裁判官が、判決文でどんなことを書いたか。
どんな理由を付けて、執行猶予などという無意味な判断をしたのか。


「遺族に対して法的に適正な額の賠償がされる見込みがあり、
被告人はこれを誠実に履行する姿勢を明らかにしていること、
被告人は、本件を重大に受け止め、捜査。公判を通じて
自己の過失を素直に認め、本件事故以降、趣味としていた
サイクリングをやめるなど、真摯な反省の態度を示している」


この判決文と、現在の加害者の態度を読み比べれば一目瞭然です。


「結論、前田巌君、君の判断は間違っていたね」


しかし、これで前田巌裁判官が処分を受けたりはしないわけです。
こうした事情が、職業裁判官の無責任体質を作り、
たまたま良い裁判官に当たればいいのですが、そうでない場合、
被害者遺族は二重三重の苦しみを味わうことになってしまうのです。


どの裁判官に当たるかということが、良い歯医者や美容師に当たるか、
ということと、同レベルの話になってはならないと思います。

しばらく中断していた訴訟のことに話題を戻します。


遺族に対する謝罪の姿勢を表現しようとすることすら忘れ去り、
裁判は弁護士まかせで、出廷すらしない加害者。
執行猶予をゲットした以上、民事なんて、判決がどんな結果でも、
全部保険会社が払ってくれるし、「知ったこっちゃない」
そんな本音を隠そうともしない、私の母を殺した加害者は、
色々な加害者パターンの中でも、やはりかなり特異なのでしょう。


刑事公判で、加害者側が出していた弁論要旨を引用します。


「今後とも被害者への謝罪を続けていくつもりである。
 また被害者らに対しては被告人の加入している保険会社から
 保険金が支払われる予定であり、今後とも示談に向けて
 話し合いを行っていく予定である」


そして民事になったとたんに、「不知」「争う」の文言しかなく、
「原告らの被告に対する請求をいずれも棄却する」
「訴訟費用は原告らの負担とする」

なんて主張をしてくる答弁書を出してきた加害者とその弁護士。


常識で考えてみましょう。
笛木儀久およびその弁護人の池田直樹をどう解釈するか。


「お前、大嘘つきだな」
「恥を知れ」


これ以外の言葉はないでしょう。


人の命を奪った犯罪に対する執行猶予付き判決というものが、
いかに無意味なものであるかという明白な証拠だと思います。

最近、特に帰りが遅いので、少し間が空きましたが、
「逮捕報道恐怖症」の続きを書かせて頂きます。


そういうこともあって、テレビのニュースを見ていて、
「・・・で逮捕されました」
「・・・に実刑判決が下されました」

というアナウンスが耳に入ると、やはり固まってしまいます。


そして、それは表情にも表れてしまうようです。
「どうしたの?何か考えているの?」
そう妻に聞かれてしまうことも何度かありました。


妻には「逮捕報道恐怖症」のことは話していません。
余計な気遣いをさせたくないこともありましたし、
また話すタイミングがないままだったこともあります。
(なので、このブログでディスクローズとなります。
 妻はこのブログの存在を知っているので・・・)


「いや、いま○○で実刑判決ってニュースがあったけど、
 笛木みたいに、人を殺しても逮捕もされないままで、
 会社から弁護士まで付けてもらうようなヤツもいれば、
 こんなチャチな犯罪で刑務所に入るのもいて、
 本当につくづく日本では殺され損だなって思って。
 司法って何だろうね。命の重さって何だろうね」


そんな会話になれば、一気に二人の空気は重くなってしまいます。
だから話さずにきました・・・妻よ、黙っていてごめん。


被害者遺族として、ずっと頑張り続けている人の中には、
実は、夫婦や家族の関係が壊れてしまった人も少なくありません。
おそらく、ほとんど報道すらされない犯罪被害の二次被害です。
それもひどく深刻な二次被害です。
私も妻との関係は最も大切なものです。壊したくありません。
だから被害者遺族として、たとえ心を許した夫婦間であっても、
飲み込んでしまう感情もあちこちで抱えていくことになります。

小沢裁判のことを書きました。


小沢裁判に限らず、ニュースを見ていて、
たまらなく、つらくてやりきれない感情に襲われる時があります。


「逮捕」
「実刑判決」


この2つの言葉が出る時です。必ずビクッと反応してしまいます。
特にどうでもいい(といってはいけないかもしれないけど・・・)
つまらない犯罪報道で、この2つの言葉を聞くことになると、
母の命の軽さ、いや、司法での交通犯罪被害者の命の軽さについて、
どうしても思わずにはいられないのです。


「カーネルサンダースの人形を盗んだ男が逮捕された」


交通犯罪遺族になる前なら、笑い話でしかないこんなニュースも、
交通犯罪遺族になった今は、心を曇らせる不条理でしかありません。


「母を殺した加害者は逮捕すらされなかった。
 しかし、カーネルサンダースの人形を盗んだ男は逮捕された。
 彼が人の命を奪うような重犯罪を犯したのか。断じて違う!
 母の命はカーネルサンダースの人形以下だったのか・・・


どうしても、こういう受け止め方をしてしまうのです。


だから小沢一郎裁判でも、何をしたかということを全て論外にして、
ただ人の命を奪うような犯罪を犯していないというその一点だけで、
そして司法全体の中で、命の尊厳を守るというその一点だけで、
実刑判決が下されることなど絶対あってはならないと考えるのです。


こうして、「逮捕」「実刑判決」というニュースを見るたびに、
黒くよどんだ澱が、私の心の中にたまり続けていくことになります。

自転車事故から、自分の訴訟から、どんどん脱線しますが、
どうしても今のうちに書いておきたいことがあります。


小沢一郎の裁判のことです。


検察官役弁護士が禁錮3年を求刑との報道が先週ありました。


禁錮3年の求刑・・・
母を殺した加害者に対する求刑と同じです。


やはりどうしても考えてしまいます。


小沢裁判には色々な意見があります。
私も自分のブログに、変な政治色を付けたくないので、
政治的発言はしないようにしたいと思っていましたが、
端的に言えば、一部集団ヒステリーの暴走との感想です。
意見は、郷原信郎氏や田原総一朗氏に近いと思います。


少なくともはっきり言えることがあります。
小沢一郎は人の命を奪うほどの罪を犯したのか?
明確にNOです。
それなのに、全く同じ重さの量刑を求刑されています。


暴走自転車で殺される命の重みって何?
重過失致死罪って何?
書類の記載間違いと同レベルで裁かれる話なの?
・・・どうしてもそういう考えがぐるぐる回るのです。


ホリエモンだってそうです。
彼は人を殺したのか?
人の命を奪うような許されない罪を犯したのか?
明確にNOです。
しかしホリエモンは、いま刑務所に入っている。
しかし母を殺した加害者は刑務所に入っていない。
ずっと在宅で、逮捕すらされていない。


量刑というもののあり方については、
母を殺されてからの2年間、特に無反省な加害者に
軽々しく執行猶予が言い渡されてから1年数ヶ月間、
ずっと心の中にたまり続けている澱があります。

誰に言われるまでもなく、今日は東日本大震災から1年です。


震災当日の私は、福井に出張中で、一瞬グラっと揺れただけで、
「ああ、地震ですね」と、その場でノンキに話していたくらいで、
東日本で起こっていた激しい揺れを経験していません。
その後、大変な事態と知り、なんとか名古屋まで辿りついたけど、
結局、その先から東京に戻れず、名古屋で一夜を明かしました。
なんとか見つけた郊外の古いビジネスホテルで、
(名古屋駅周辺はどこも満室で、本気で野宿を覚悟しました)
ずっとテレビの報道映像に釘付けだったことを覚えています。


まず何より心配だったのは妻、そして父の安否でした。
夜になって、ようやく二人とも連絡がついて、
無事とわかり、ほっとした記憶があります。
これ以上、家族を、寿命以外で失いたくありませんでした。


その後の、停電で電車が止まって、会社も自宅待機があったり、
町が真っ暗だったり、どこの店の棚もガラガラだったり・・・
あの世紀末的風景は現実のものだったのかと、今でも思います。


ちょうどこの時、いくつかのマスコミから同時に接触があり、
カメラ入り取材や、取材後の放映を予定していた頃で、
それらが全部一旦白紙になったり、延期になっていました。
記者やディレクターも、被災地に貼り付きになっていたようで、
交通死や自転車被害どころじゃないという空気一色でした。


今日、天皇陛下ご出席で、政府主催の追悼式典が行われました。
遺族も招かれての政府主催追悼式典は、今回初めてとのこと。


突然の自然災害で家族を奪われた人・・・、
交通死を含む犯罪被害で家族を奪われた人・・・


どちらも尊い命が奪われたことに変わりはありません。

事情は千差万別であっても、共通する想いはきっとあると思います。


交通犯罪では、おおむね犠牲者の命は粗末に扱われています。
その悔しさで、遺族は二重三重の苦しみを味わうことになります。
どのような形であっても、命の大切さが尊ばれる社会であることを、
そしてそれが奪われたり、ぞんざいな扱いをされることは、
どんなことがあっても許されない社会であることを望んでやみません。


少し前に、自転車事故の特徴について、
論点を整理してつらつら考えたいと書いていました。


しかし先日3月7日に第1回弁論期日があり、
交通犯罪の民事訴訟というもののあり方について、
色々考えさせられるものがありましたので、
もうしばらく民事訴訟について書きたいと思います。


遺族としてショックを受けたことが2つあります。


①加害者本人が法廷に来ないこと。
②刑事公判時と、言葉から態度まで全て豹変していること。


「なんなの?これは・・・人が殺されているんだよ!」

これが第1回弁論期日を終えての我が心の叫びです。
もう、あからさまというか、なんというか・・・。


私の母を殺した加害者は、「わかりやす過ぎる」ことで、
他の平均的な(そんなものがあるかどうかも不明ですが)
加害者像を逸脱していることは繰り返している通りですが、
そのわかりやすさを極限まで加速させてきた印象です。


「もう執行猶予も付いたし、会社もクビにならずに済んだし、
 自宅の火災保険に対人特約がついててよかった。ラッキー。
 犠牲者?遺族?何それ?もう過去のことだから忘れます。
 弁護士さん、保険会社さん、あとはよろしくー」


今44歳の加害者の頭の中を要約すれば、まあこんなところでしょう。


訴訟の結果については、変な気負いは全くありません。


母が殺されたのも事実。
そのせいで父が壊れたことも事実。


そのことを、常識的な理解力のある裁判官に担当してもらい、
常識的な判断をしてもらうだけだと思っています。
勝ちも負けもない、ただ常識だけを求めている裁判です。


ただ、あとに出てきてしまう交通犯罪被害者遺族のためにも、
ヘタな判例だけは、どんなことがあっても絶対残せません。
それが被害者遺族の自分に課せられた使命なのだと思い、
油断せず、弁護士まかせにせず、闘っていくつもりです。

本日、第1回弁論法廷が開催されたので、報告です。



自転車に家族を殺されるということ


遺族の会の方にも傍聴支援をしてもらいました。

民事なので書面交換だけで淡々と進むつもりでいましたが、

やはり仲間に寄り添ってもらうことで、

こんなにも励まされるものかと、自分でも驚きで、

本当に感謝としか言いようがありません。

傍聴頂いた会の仲間の皆さん、ありがとうございます。


第2回弁論期日は、4月16日(月)13:10からです。

東京地方裁判所(霞ヶ関)第636号法廷になります。


事実の争点はなく、壊れた父の件がまっとうに判断されるか、
との単純な話のはずが、予想外の展開になりそうです。


まず加害者本人が出廷しないままであることに腹が立ちました。

加害者の中に、殺した母と我々遺族に対して、

申し訳ない気持ちがわずかでもあれば、出廷は当然と思います。

しかし弁護士まかせ、保険会社まかせで、母を殺したことなど、

完全に過去のどうでもいい話でしかないのでしょうね。


加害者側は全面的に争う構えのようです。


腹立たしい限りですが、ギリギリで出してきた答弁書には、

(裁判官からも「事前に出して」と叱られていました)

「不知」「争う」が連発され、読むだけで怒りがこみ上げます。

答弁書から一部抜粋すると・・・


「有罪判決を受けたことは認めるものであるが、

 事故態様及び因果関係については、次回認否する」

「損害の部分は争う」

「入院と死亡したことは認めるが、その余は不知ないし争う」


つまりぶつかったことと、有罪判決を受けたのは認めるけど、

「あとは知ったこっちゃないよ」

としか読めない内容でした。


また答弁書で、またまた母の名前を間違えてきました。

(×玲子 → ○令子)

加害者弁護士・池田直樹君(50代?)の非常識には呆れます。

(参考までに横浜弁護士会所属です。あくまで参考まで・・・)


具体的展開は、加害者側の反論内容が出ないと見えませんが、

「ぶつかったのは事実だけど、あとは偶然」

と主張してくる可能性があると思っています。

当然許せない話で、徹底的に闘っていくつもりです。