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自転車に家族を殺されるということ

交通犯罪犠牲者の命が紙クズ扱いされる司法を変えていきます。フェイスブック・Twitterも発信中。
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2014年1月28日に判決が出て裁判は終わりましたが、私の交通犯罪遺族活動は続いています。

昨日(2013年11月16日)、あいの会で意見交換会を行いました。


2020年の東京オリンピック開催決定を受けて、
大きな動きがきっとあるだろうと会のメンバーで話し合って、
今回実現したものです。


意見交換会のテーマは「道路交通法と道路整備」としました。


しかし冒頭の挨拶で、私からもちょっと触れましたが、
この2つに限定した話し合いにとどめるつもりは全くなく、
悲劇を減らすための提案はすべて出し合ってもらいました。


詳細は下記のあいの会の公式ブログ記事をご参照ください。
http://blog.livedoor.jp/i_nokai0708/archives/34927776.html


全体の論点はブログの通りですが、私が触れたエピソードを一つ。


その前夜の金曜日が、酉の市(二の酉)というお祭りの日になり、
私も帰り途中の新宿で、花園神社に寄ってきました。


すごい混雑でしたが、そこでビックリの出来事がありました。


大通りの横断歩道が青になり、大勢の人、いや群衆が渡っている中、
猛スピードに自転車が突っ切るように横断していったことです。

当然、信号無視です。
しかも1台2台ではなく、7~8台はいたと思います。


人混みを縫うように猛スピードで切り裂いていく自転車・・・。
誰にもぶつからなかったのが奇跡でした。
いや、歩行者側があわてて身をよけたために、
たまたま、偶然、死傷者が出なかっただけだと思います。


同時にビックリしたことは、すごい混雑ということもあって、
警察車両もたくさん止まって、警察官もたくさんいたのですが、
どの警察官も直立不動のままで、注意すらしなかったことです。


自転車のマナーの問題、それを軽視する警察の問題・・・


自転車交通犯罪遺族としての課題はやはり山積のままだし、
警鐘は全然鳴らされていないことを実感した金曜の夜でした。


話は外れましたが、意見交換会は成功だったと思っています。


沈黙の生まれる余地もなく、意見が尽きないやり取りが続き、
2時間しか時間を取っていなかったことが悔やまれます。


ただし貴重な意見がいくつも集まりましたので、
取りまとめて、協議して、活かしていきたいと思っています。



自転車に家族を殺されるということ



自転車に家族を殺されるということ

10月28日(月)、第13回目の訴訟がありました。


前回触れたように、加害者側はトンデモ珍説を主張しています。


「搬送先病院で絶対ベッドから転落して死んだに違いない」
「病院の管理体制がしっかりしていれば起きなかったはずだ」
「だから病院を訴訟に巻き込むぞ!」


・・・(失笑)


結局、加害者側は最後までこのトンデモ主張でがんばり通し、
加害者側から病院に「訴訟告知」というものがされました。


これは「お前にも責任があるからお前も訴訟に参加しろ」
というものですが、病院は毅然とこれを突っぱねました。


搬送先の病院は、裁判所に下記の文書通知をしたそうです。


「加害者の自転車による衝突で死亡したのは明らかである」
「詳細は意見書で書いた通りで、それ以外に言うことはない」
「よって訴訟参加はしない(する必要もない)」


裁判官も、この事実を伝えたあと、被告弁護士に対して、
「ということなので、よろしいですよね」
と確認し、被告弁護士も下を向いたまま(しぶしぶ?)同意。
予想していた長期化の流れは、結局取りやめになりました。


否、取りやめになったという書き方は適切ではありませんね。
加害者側のバカげた悪あがきに、病院も裁判所も取り合わず、
常識的で当然の流れから、ただ外れなかっただけと言えます。


これで双方主張の根拠を尽くしたことになり、
次回に証人尋問を行って結審。年明け早々にも判決です。


次回は、私が証言台に立って、証言を行います。


次回は11月19日(火)10:30から、
東京地方裁判所(霞ヶ関) の第530号法廷です。


傍聴支援をよろしくお願いいたします。


自転車に家族を殺されるということ

やっと連休になって、ブログを書く時間が取れました。
訴訟報告の前に、肩の力を抜いて、まずは簡単に趣味報告。


偶然見つけて興味をもったので、先月末の10月29日、
「死の体験旅行」というイベントに参加してきました。


場所は門前仲町にある臨済宗の禅寺の陽岳寺さんでした。
お寺での開催ですが、宗教無関係のイベントです。


ターミナルケア(終末期医療)から生まれたもので、
一種のストーリー瞑想を行うものです。


体調が悪くなった変化に気付いて、病院に行き、
精密検査を受け、家族とともに呼び出され、ガンを宣告され、
会社を休職し、入院して手術、その後も病気と闘いつつ、
結局治療をあきらめて、自宅での緩和ケアへと移り・・・
最後に息を引き取る瞬間までのナレーションを聞きつつ、
大切なものを捨てていくという作業のワークショップです。


まず大切なものを、4つのグループに分けて5個づつ、
計20個、色分けした紙片に書き出します。
白い紙にモノ(物質的なもの)、青い紙には自然、
ピンク色の紙には関わっている活動、黄色い紙には人・・・。


その上で、先ほどの死に向かうナレーションを聞きつつ、
「ここで1枚、紙を捨ててください」
「ここであなたは3枚の紙を失います」
と言われ、その指示に従って、紙を丸めて捨てていきます。


最初は選べますが、最後は選択の余裕はありません。


自然好きな私ですが、私は自然の青い紙が真っ先に消えました。


遺族活動もピンク色の紙に書いていましたが、
中盤あたりで手放さなくてはなりませんでした・・・。


何を書き、それをどのような順番で捨てていったかは、
ちょっとだけセンシティブな部分もあるので書きませんが、
最後まで残るのは生きるために最低限必要なものだけ・・・。


人生のはかなさを感じる貴重な体験をさせてもらいました。


最後に、死を迎え、絶対的な静寂を仮想体験したあと、
「私は生きている」「私は生きている」「私は生きている」
と3回念じて、ワークショップは終了となります。


この「死の体験旅行」というワークショップは、
「死」と向かい合うというだけにとどまるものではなく、
「生きること」と向かい合うためのものだそうです。


個人的な傾向を振り返れば、私は死の恐怖はあまりなく、
残された周りがどうなるかということばかり考えました。


私の年齢になると、既に鬼籍にいる同年代が何人かいます。
病死、急性心不全、自死・・・死因はさまざまですが、
(殺人や交通犯罪で亡くなった人は同年代にはいません)
交通犯罪被害者遺族となり、遺族活動をしていると、
去る者の無念、残された者の無念を思わずにはいられません。


死は誰にも訪れるもので、避けられるものではありません。

しかし、それは受け入れる時間と覚悟を与えられるべきで、
残された者が遺族活動などしないで済む死というものが、
本来あるべき死の姿なのかなとも思ってしまいました。


死とは、尊厳のあるものであるべきと考えます。


自転車に家族を殺されるということ

先週末土曜日の10月26日、私たちあいの会で、
「グリーフケアの集い」という催しを開催する予定でしたが、
このブログでは告知する余裕のないまま、
大型台風27号直撃の恐れありとして、延期決定としました。


しかも振り返ってみれば、結局はただのパラパラ雨・・・。


延期するまでもなかったかもしれませんが、
こればかりは予想のできるものでもなく、仕方ありませんね。


******


あとこれはFacebookよりもさらに完全に事後報告になりますが、
フジテレビ・スーパーニュースさんから取材を受けていて、
もうかなり過去になりますが、10月9日に放送されていました。


放送前日に連絡があったことと、これまでの経験から言って、
正直なところ、テレビへの期待はしていなかったこともあり、
告知をしないままでしたが、見た方々からの連絡を聞くと、
実はかなりしっかり問題提起をしていただいていたようです。


こういう時に限って・・・タイミングとは難しいものです。
(録画はしまして、制作会社からもDVDをいただきましたが、
 私は自分の出演番組は見ません。この主義は当面貫きます。
 いや辛いので見ることができないというのが正解か・・・)


******


そんな経緯のあった10月ですが、今日は第13回目の訴訟です。


いまのところ、加害者側から何の提出物もないようですが、
どんな展開になるか・・・また報告させていただきます。


加害者は弁護士任せでのうのうと日常生活を過ごしているのに、
月末の忙しい時期まで、午前半休を取って裁判所に行く自分。


加害者に反省を促さず、逆に犯した罪の忘却しか促さない
執行猶予という制度の害悪を痛感しないわけにはいきません。


そう・・・少なくとも人の命を奪った犯罪については、
執行猶予という制度は害悪に他なりません。


このブログは、交通犯罪遺族としてのブログです。


私は大変な目に遭いました。
私と一緒にやっている仲間たちも大変な目に遭いました。


家族を殺されるなんて、ドラマや映画の世界じゃあるまいし、
そうそう我が身にふりかかるものではありません。


でもふりかかってしまった・・・
そして生命がどれだけ軽く扱われるか痛感させられる・・・


そしてその大変な目は、一時的な出来事では終わりません。


今でも苦しい後遺障害と闘い続けるきょうだい。
母親不在の中で、仕事を削っての男親のつらい育児。
一人ぼっちで鬱病の父の介護(そして付きまとう自殺の恐怖)


闘うのは裁判だけではありません。
日常生活の中で、みな、今と闘うことを余儀なくされています。


そんななかで遺族活動について時々反芻することがあります。


遺族活動をしたって、奪われた命が帰ってくるわけではない。
今さら加害者により重い罰を与えることができるわけでもない。
でもやらなければおさまらないマグマが自分の中に確かにある。


やはり使命だと考えています。


「自分と同じ思いをする人を一人でも出したくない」


一言で言えば、そういう気持ちだと思います。


お金になるわけでも、自分の利益になるわけでもありませんが、
それでもその気持ちだけで、ずっと走り続けてきました。


しかし遺族遺族遺族・・・で日々生きているわけではありません。


食べていくために毎日の仕事をやめるわけにはいきませんし、
息抜きや気晴らしが必要な時だってあります。


そうしてこそ遺族活動も長続きしていけると考えるからです。


瞬間風速だけで終わったら何の意味もありません。
ずっと続けていくことで初めて、
何かを変えていくことができると考えています。


私が入っていた全国交通事故遺族の会もそうでした。
20年間、続けることができたからこそ、
果たすことのできた使命も大きかったと言えます。


そんなわけで(?)10月は趣味も充実させました。


毎年恒例ツアーの稲川淳二の怪談ナイトに行ってきたり、
闇夜を歩く一風変わった行事に参加してきたり、
とある場所での百物語怪談会に参加したりしました(笑)
(私を知っている人は「またか・・・」と苦笑されるでしょうが、
 そういう方面が私の趣味で、ライフワークだったりします)


またAmazonで怖い本を何冊も買って、妻に呆れられました。


やはり自分の興味の惹かれるものにディープに接していると、
魂に水分補給がされるような気がしてきます。


中川翔子の言う「欲望タイム」は絶対必要だと思います(笑)


この世の中は、目の前に見える明るく乾いた世界だけでなく、
それと表裏一体に、暗くて深い、湿った世界が存在している。
それを確認し続けることを私は欲しているのかもしれません。


特に今回、怪談会に行ってつくづく思ったことは、
皆さん、貪欲に、怖い話を集め回っているんだなということ。
自分も見習わなければ・・・と思いました。


ということで、恐い経験をしたことがある方・・・
いらっしゃいましたら、ぜひ私に教えてください(笑)


趣味・関心領域のことはまた追い追いまとめます・・・(^-^;)
遺族以外の「私はこんな人」という自己紹介もじきにします。


今月後半以降は、その分、あいの会の活動を集中しています。
また報告しますが、今週末にはグリーフケアの行事も行います。
そんな風にうまく切り替えながら、末長く遺族活動を続けて、
今より少しでも生命の尊ばれる世の中に変えたいと思います。


ちなみに写真は百物語怪談会の様子です。


自転車に家族を殺されるということ


自転車に家族を殺されるということ


先ほど第12回弁論の報告を書きましたが、

今回出された噴飯ものの被告準備書面も晒します。

(フェイスブックではすでに晒し済みですが、

 フェイスブックをしない方もいらっしゃいますので)


この書面は9月17日時点で「陳述」がされています。


つまり今は立派な公開文書ということです。


そのため晒し上げ自体は全く問題ない行動となります。


読んで、どうか笑ってください。

笑ってくれとしか言いようのない内容ですので。


公開文書なので転載自由です。

どうか自由に拡散してやってください。


これが私の母を殺した加害者の正体です。




自転車に家族を殺されるということ-hikokujunbi6-1


自転車に家族を殺されるということ-hikokujunbi6-2


自転車に家族を殺されるということ-hikokujunbi6-3


遅くなりましたが裁判報告です。


既にフェイスブックにはアップしていましたが、

さる9月17日に第12回目の訴訟がありました。


加害者が噴飯珍説を最後まで力いっぱい展開しているので、

通常のケースに比べて、大幅に長引く訴訟となってます。


こちらからは3点。


父の介護保険のケアマネージャーに意見書をもらい、

それを裁判所に提出したこと。

孤独な父がいかに悲惨な状況になっているか、

見たまま知っているまま、書いてもらいました。

私たちは、加害者の保険会社がやったように、

お金で虚偽作文を書かせることのできる輩はいないため、

あくまで良心ある第三者の方に対して、

「知っているありのままでいいので書いてもらえますか」

と頭を下げてお願いするしかありません。


そしてこれまでの加害者側の噴飯珍説に対して、

一通りの反論を準備書面で行ったこと。

一般常識の世界では、相手にする価値すらない戯言でも、

裁判所という世界では、少々勝手が違ってきます。

きちんと反論しないと「好き勝手言った者勝ち」が裁判所です。

「論評の値しない」と無視ではなく、反論が必要です。


またこれまでのあまりに不誠実な加害者の態度に鑑み、

そして父の壊れ方が当初以上に悲惨になっていることから、

損害賠償請求額の増額申請を行ったこと。


対して加害者側は、今回さらに爆笑ものの主張に出てきました。

(爆笑ものの態度や主張は以前からではありますが・・・)


こんな内容の準備書面を出してきました。


「搬送先病院で絶対ベッドから転落して死んだに違いない」

(カルテに母が床にしゃがみこんでいる記述があったのですが、

「この時に転落して頭を打って死んだから俺たちは関係ない」

との決めつけが加害者のほぼ全ての主張です・・・笑)


「病院の管理体制がしっかりしていれば起きなかったはずだ」

(「柵を設けたり、24時間目を離さない体制でないのが悪い」)


「だから病院を訴訟に巻き込むぞ!」

(「はいはい・・どうぞご勝手に」しか言いようがありません。

病院もいい迷惑だと思います)


・・・最早ここまでくると傑作です。


人はどこまで醜悪になれるかという見本を見せられています。


引っ込みがつかなくなってのただの破れかぶれなのか、

単純に自爆を自爆を重ねてくれたのか、

全く想定もつきませんが、見苦しい不誠実の典型例として、

後々まで語り継がれる判例になることは確実と思います。


ただ病院まで巻き込まれるとなると、訴訟自体、

かなり長期化することになるそうで、正直うんざりです。


加害者;「病院が悪い!お前も責任を取れ!」

病院;「は?お前○○か?関係ないだろ(苦笑)」


そんな不毛な(実に不毛な・・・)やり取りを、

当面はずっと横から見ていなければならないわけです。


半年なのか・・・1年なのか・・・


裁判官も大変だと思います。


こんな輩のこんな馬鹿げた茶番劇につき合わされて。


良心的に感じられる裁判官だからこそ思うのですが、

仕事とはいえ、裁判官もきっとうんざりしてると思います。


また加害者は結局法廷には立つことなく終わりそうです。


こちらからは加害者本人の証人尋問を求めましたが、

被告弁護士は「必要ない」と主張し、結局そのような結果に。


しかし私の場合は、それでよいと思っています。


「加害者が何を考えて過ごしているか聞きたい」


よくそんな声を加害者証人尋問を求める遺族から聞きます。


しかし加害者の場合は、もうわかりきっていることです。


自分の罪など何も考えず過ごしているし、反省も全くない。

子供でもわかる自明の事実です。


しかも、今回、再度の謝罪パフォーマンスをする機会すら、

自ら放棄したわけで、私としては今後の遺族活動において、

「加害者は法廷で頭を下げる機会を自ら放棄した」

と一生語り続ける既成事実を得ることができました。


加害者の破れかぶれ迷走のおかげで、

あとは証人尋問→結審→判決となりかけていた流れが、

一気に大規模延長戦になりました。


また私が法廷で語る機会も先になり、

非公開の弁論準備手続きが続いてしまうことになりました。


ここまで来たら、とことんまで加害者の醜さ、

人間という生き物は果たしてどれだけの限界まで醜くなれるか、

という実験に付き合い、のんびり構えるしかないと思います。


写真は台風一過の秋晴れを背景にした東京地裁。





自転車に家族を殺されるということ-20130917court

実は明日、9月17日に第12回目の裁判があります。

それ以前に、前回裁判報告を書けずに今に至ってしまいました。

(横のプロフィール欄には数行さらっと書き足していましたが、

 きちんとした報告は、日々に流されてできずにいました)


次回期日を明日に控えての中ですが、7月の裁判報告をします。

あまりに遅きに失した投稿を、温かく笑って読んでください。


第11回弁論は、7月24日の午前にありました。


母には、幼なじみで、姉妹同然に育った方がいるのですが、

その方に意見書をお願いし、父の様子について、

母の事件の前と後で、どれほどひどく変貌してしまったか、

見たまま、ありのままに書いてもらい、裁判所に提出しました。


加害者側からは、準備書面が出されました。


「医療ミスがあったに違いない」

「入院中にベッドから落ちて、頭を打って死んだに違いない」


加害者からは、そんな噴飯珍説が展開されているわけですが、

それを搬送先病院からペシャンコに論破されていました。

それに対して見苦しい反論をしてきたのが今回になります。


加害者側のこの日の主張を要約すると、こんな感じです。


「病院見解は、医療ミス当事者の言い分だから信憑性がない」

「自転車でぶつけるなんて大したことではないので、一般的な自動車事故事例は当てはまらない」


このブログは加害者側も見ている形跡があるので、

私もぐっと我慢して、言葉は控えなければなりません(笑)


判決後に、あらためて総括する予定ですが、

今は「皆さん、どうぞ笑ってください」と言うのみです。


お金で言われるままデタラメを書く「医師」については、

とやかく触れるつもりはありません。

ただ世の中には、浅ましく醜い人間がいるというだけです。


それよりも、ここで一点だけ触れておきたいのは、

「自転車だから大したことはない」

と平然と言い放つ加害者側の思考回路です。


昨今、これほどまでに自転車問題が取り上げられ、

その安全性と法整備に、警鐘が鳴らされているにも関わらず、

それらを完全無視の、あまりに反社会的な態度だからです。


これは交通安全を願う社会に対する重大な挑戦です。


私は、「不誠実」「反社会的」という意味合いで考えると、

日本の裁判史上に残る逸物を相手にしているようです。


必ず完膚なきまで叩き潰さなければなりません。


いずれにせよ、明日で双方主張が出尽くした形になり、

その次は公開法廷に戻り、証人尋問の流れになります。


私も証言台に立ちます。


当然、加害者も呼び出すつもりです。


皆さんにも傍聴支援をお願いすることになります。


その報告はまた後日させていただきます。



自転車に家族を殺されるということ

既にフェイスブックや、あいの会公式ブログには書きましたが、

先週土曜日(2013年9月14日)、

東京は池袋で、グリーフケアのワークショップを開催しました。

細かくは下記に書きましたので、よろしければ覗いてください。

https://www.facebook.com/azumin827

https://www.facebook.com/i.nokai0708

http://blog.livedoor.jp/i_nokai0708/archives/33010507.html


不必要かと思いますが、念の為、ネット辞書から引用します。

 グリーフケア=身近な人と死別して悲嘆に暮れる人が、

   その悲しみから立ち直れるようそばにいて支援すること。

   一方的に励ますのではなく、相手に寄り添う姿勢が大切。

ここ数回、あいの会は講演会形式で催しを実施してきましたが、

ワークショップという方式を取るのは今回が最初でした。

蓋を開けて、振り返れば、やってみてよかったと思っています。

有意義な催しを行うことができたと本当に感じています。

決して自画自賛ではなく、けっこうかなり大真面目に(^-^)

詳細は上記リンク先で書いた内容に譲ります。

ここでは個人ブログなので、個人の感想ということに特化して、

ところどころ思いを巡らせた箇所を書き出してみます。

被害者同士でも「自分のほうが大変だ」という被害比べをして、

お互いに傷ついているという素直な相互理解が難しい場合がある。

最初に、そんな話がありました。

あえてセンシティブな話題にも触れます。

例えば、あくまで一部の人に限った話ですが、

殺人遺族は、交通犯罪遺族を見下す態度に出ることがあります。

誤解のないように繰り返しますが、あくまでごく一部の人です。

交通犯罪遺族の中でも、これは悲しいかな皆無ではありません。

「私たちは特別な試練を経験をした、聖痕を有する者なのだ」

そんな「選民意識」に陥るパターンはゼロではないのです。

(ややユダヤ・キリスト教的な表現を取りましたが・・・)

もちろん、こんなのは勘違いです。

そこにはつい被害比べ、被害自慢をする人間の弱さがあります。

そして、そのような勘違いに陥ってしまうことによって、

奪われた生命は本来みな尊いものだったはずだ、

というあるべき視点が決定的に消失してしまっているのです。

家族を殺されて、悟りを開くわけでも、救世主になるわけでも、

聖人になるわけでも、特別な能力が授かるわけでもありません。

ただ辛く不条理な経験をしたということ、それだけなのです。

その試練を世の中に訴えることは大切で尊い使命です。

そして声をあげずに辛さが癒えるのを待つのも立派な生き方です。

ただ傷ついている人が、そこにいる。

そのことをお互いに認め合い、理解し合う。

その大切さと難しさについて、あらためて思いを巡らせました。

また私が失われたものの一つに、つまらないことで、

「逮捕されました」「実刑判決が下されました」

という報道ニュースを見ることができなくなったことがあります。

母を殺した加害者が、逮捕も刑務所収監もされなかったためです。

例えば、かつてのホリエモンや鈴木宗男をめぐる報道の時も、

まず思うのは「彼は人を殺したわけではない」ということでした。

ホリエモンや鈴木宗男に限らず、人の生命にかかわらない

経済犯や薬物犯のニュースをみるたび、同じ思いがよぎります。

おそらく歪んだ見方なのだと思います。

自覚はしています。

しかし、そのようにしかニュースを見ることができないのです。

これは私の明らかに失われた部分だと思っています。

他にも失われたことはたくさんあります。

このブログテーマに関する喪失についても、それ以外でも。

ここでは書けないこともあります。

誰にも言えず、墓場まで持っていくしかないこともあります。

かつて全国交通事故遺族の会で専門家のカウンセリングを受け、

いろいろと気づかされることがあったことを思い出しました。

一人で悩むよりも、じっとしているよりも、黙っているよりも、

とにかく外に出て、人と話して、本を読んで吸収することも含め、

とにかく前に前に進んで、何を少しずつ蓄積していくことが、

自分にとってのグリーフケアになるのだろうと思っています。

ファシリテーター役で来ていただいた方には、何度も、

「あいの会の皆さんを見ていると、その活動自体がすごく良いグリーフケアになっている」

と言っていただけました。

確かにその通り。


私にとって、あいの会の存在は、力強い支えになっています。


自転車に家族を殺されるということ



先週土曜日の2013年8月24日、

被害者参加制度についてのシンポジウムがありました。


場所は日比谷。

リニューアルした日比谷図書館内の講堂での開催でした。


私も参画している関東交通犯罪遺族の会(あいの会)も、

会として参加し、代表の小沢樹里さんはパネリストとして登壇、

議論に参加して発言する機会もいただくことができました。


やり取りの詳細は、あいの会公式ブログにまとめました。

よければお立ち寄りください。

http://blog.livedoor.jp/i_nokai0708/archives/32061990.html


実は私は事情により出席はかないませんでした。

無念の欠席・・・。

ただ有意義なシンポジウムで、議論も活発だったとのことです。


なので以下は、小沢樹里さんからの又聞きからの感想です。


話を聞いて、私が一番うなづいてしまったのは、

裁判員の意義についての議論のくだりでした。


職業裁判官が被告となった犯罪者を裁く場合、

どのような基準で判決をくだすか・・・。


「ああ~、はいはいはい、反省してますよ!もうしませんって!」


極端な例です(汗)


しかし例えば、被告がこのような発言をしたら、職業裁判官は、

判決文にどのようにこのやり取りを反映するか。


「被告は反省の弁を述べ、再犯のないことを誓っている」(笑)


全員とは言いません。

しかしこういう判決文を書く裁判官は決して少なくありません。


少なくとも、私の事件の刑事公判を担当し、

遺族の存在を完全無視した担当者は、この手の裁判官でした。


しかし裁判員裁判になれば、こんな展開は起きにくいのは確かです。


「ああ~、はいはいはい、反省してますよ!もうしませんって!」


こんな風に言い放つ被告の言動をみれば、

「なんだコイツは!全然反省していないじゃないか!」

とごく当たり前の感想を抱き、当然のように厳罰をくだすと思います。


あいの会の小沢家の刑事公判も、裁判員だからこその結果でした。


小沢家の事件では、飲酒運転同乗者の実刑判決が確定しました。


小沢家も、自身の裁判を振り返ると、裁判員裁判だったからこそ、

この勝利を勝ち取ることができたと考えています。


裁判員裁判はもっと一般的になるべきです。

裁判員になる負担をもっともっと軽くし、

もっと多くの人が裁判員を経験するようになってほしいと願っています。


そして人の命を奪った犯人を裁く場は、原則裁判員裁判にしてほしい。


いまは、まだ夢物語で、遠い道のりなのかもしれません。

でもたゆまず運動を続け、いつかはきっと実現させたいと思っています。



自転車に家族を殺されるということ


自転車に家族を殺されるということ


自転車に家族を殺されるということ