今週末、世間ではお彼岸の連休でした。
日本の仏教思想ともリンクして、故人供養の期間でもあります。
うちも3月21日のお彼岸中日に、母の墓参りに行ってきました。
毎回「鬱がひどくて行く気になれない」と言い続けてきた父も、
「これ以上ずっと行かないと罰が当たるよな・・・」と言って、
今回は墓参りになんとか同行することになりました。
しかし何度も何度も拒み続けた末、今回やっと実現の父の墓参り。
「これが父にとって生涯最後の墓参りになるのかな・・・」
会うたびにどんどんダメになっているように思う父を見ていると、
やはりそういう気持ちはどうしても沸き起こってしまいます。
そして行くたびに思うことは、「遠い・・・遠すぎる・・・」
自宅から父を迎える実家まで30km、そこから墓地まで50km。
片道80km、往復で考えると計160km・・・。
母の墓参りで、母を悪く言ってはいけないのはわかっていますが、
こんな遠方にホイホイ墓地を買ってしまった母のお人好しぶりと、
何の配慮もなくそんな物件を売りつけた営業マンの非常識ぶりに、
毎回苛立ちを感じないわけにはいかない墓参りになっています。
今回は計8時間、運転をしていた計算になりました。
連休初日ということもあってか、大渋滞に次ぐ大渋滞が続き、
数メートル進んでは止まって・・・が道中のほとんどでした。
しかも父は生来の無口。加えて強度の鬱・・・。
「具合が悪かったら言ってね」「うーん」
「体調は大丈夫」「うーん」
これがこの8時間の車中での、父との会話の全てでした。
もう慣れっこですが、やはり普通ではないとつくづく思います。
しかしこれが父にとって最後かもしれないと思うからこそ、
今回はこうして一緒に行くことができてよかったと感じています。
命は、いつ、突然、断ち切られるかわかりません。
だから母の墓参りも、行くことができるうちに父も連れて行って、
回数を重ねることができてよかったと思っています。
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そしてちょっと間奏曲。
夜7時前ギリギリに稲城の自宅に着いて、
すぐに7時集合の趣味(?)のイベントに参加しました。
暗闇を懐中電灯もなく歩く闇歩きというイベントです。
今回は稲城の里山を歩く催しだったので、興味がありました。
実は私が住んでいる場所は、東京らしからぬ山沿いで、
自宅からほんの徒歩5分で、里山に入ることができます。
昼間、時々ほっつき歩いてみることはしばしばありますが、
さすがに夜は、こういう機会でもないと怖くて行けません。
人でない者に会ったら怖いし、人に会ったらそれもまた怖い。
しかし夜の山は、瞑想的で、神秘的で、参加してよかった。
空の明かりにほのかに照らされる森林風景がとても幻想的でした。
街の光を遠くに感じることで、我が身を内観する機会にもなり、
木々の間を流れる風に、感覚が研ぎ澄まされる思いがしました。
遺族遺族遺族・・・だけで突っ走ってしまうと倒れてしまうし、
こうして心に水分補給をする機会も時に必要だと感じています。
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そして連休最終日の3月23日は、あいの会の定例会でした。
内容は、あいの会のブログに書いたので、そちらをご覧ください。
あいの会定例会(2014.3.23)
http://blog.livedoor.jp/i_nokai0708/archives/37841235.html
取り急ぎ4月は総会を行うので、その準備をしなければなりません。
またお互いに現状を話し合って、アドバイスし合うことを行いましたが、
私は1月に民事訴訟が終わって、法廷闘争の場ということで言えば、
「卒業」をしてしまった身なので、その振り返っての思いを述べました。
やはりいろいろ不満はあるし、すべてが中途半端に終わってしまった。
その気持ちはどこまでもぬぐえません。
ただ訴訟のしがらみがなくなった分、自由になったことでもあります。
「仕方ない」で多くの人が黙ってやり過ごしていた不条理の数々。
私は「仕方ない」で済ませず、それらを一つひとつあぶり出して、
「こんなことはおかしいですよ」と掃除をしていこうと思っています。
内容が内容だけに、事後報告も多くなりますが、ご容赦ください。
ここでは書けないことも、今回の定例会ではいろいろ話しました。
ただ毎回実感することですが、交通犯罪被害者遺族であるという、
同じ傷を分かち合う大切な人たちと、こうして定期的に集まって、
お互いの想いを伝え合う時間は、本当に貴いものだと感じました。









