親を奪われての遺族活動=孝行者は違うという話の補足 | 自転車に家族を殺されるということ

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2014年1月28日に判決が出て裁判は終わりましたが、私の交通犯罪遺族活動は続いています。

前回、自分の親をよく書かなかったことで、

一部の方は不快に思うかもしれないので、

具体的なことを少し補足したいと思います。

 

こうした文章を出す意図を最初に書くと、

遺族活動、あるいは遺族としての発信は、

決して品行方正な孝行者の特等席ではなく、

おかしいと感じたら誰でも「おかしい!」と

声を上げていいんだよと伝えたいためです。

 

私の生まれ育った家は明るくてあたたかくて、

両親は優しくて・・・には程遠い環境でした。

 

端的に言えば、実家は暴力の支配する環境でした。

 

父には、何が理由かもわからないことで頻繁に

失禁するまで頭部を殴打されることが日常茶飯事。

 

母はそれを見ても、止めるでもなく傍観。

 

今だったら私は児童相談所に保護され、

父親は逮捕されていることが確実なレベルでした。

 

また暴力ではないですが、見栄を気にする両親で、

私をたまたま公文に通わせ始めたらいつの間にか

クラスで成績が一番になったことで舞い上がり、

(反復復習→アウトプットに適性があっただけ)

そこから四谷大塚、SAPIX(の前身)とハシゴし、

中学受験をした(させられた)のですがその過程、

「4当5落と言うから、5時間以上は寝るな」

「修学旅行や運動会なんか行ったら受からない」

などと言われ他の犠牲を強いるような家庭でした。

 

 

※結局、私は第一志望の学校に入りましたが、

 どこの中学高校だったかは人生の成否や幸福とは

 ほとんど関係ないと今ではわかっているし、

 何より私立に行くと地元との縁が断絶されるので、

 やはり同じ経験はさせたくない思いが強くて、

 私自身、娘の中学受験はまったく考えていません。

(中学受験は否定しませんし『二月の勝者』も好きです)

 

※修学旅行は行きましたが、運動会はさぼりました。

 その直後、同級生からはつらく当たられましたが、

 いま振り返れば「そりゃそうだよね」という話で、

 同級生の取った態度は正しかったと思います。

 思い出が一つ欠落しているのも地味に寂しいです。

 

他もいろいろありますが、大人になって、

そうした親や家庭の欠点は冷静にわかって、

特に結婚後は適度な距離を取っていました。

 

しかしそんな私が親を奪われた遺族になった。

 

見方によっては、皮肉な話ではありますが、

当時はやはりとてもとてもショックだったし、

加害者や命を軽んじる裁判官への怒りは物凄く、

そこから今に至っているという事実があります。

 

いかにも孝行者みたいな話にしたがる人がいて、
それに時折うんざりする経験をしてきていて、

そんな綺麗な仮面をかぶるつもりもないので、

ここで「実はこうでした」を書いてみました。

 

私がここで書きたかったことは、

「うちの両親はひどかった」

ということなんかではなく、

「誰でも交通犯罪の軽さに憤る権利がある」

ということでした。

 

いま私は娘が交通犯罪に遭うことに怯えています。

 

ある日突然、娘が交通犯罪で命を奪われ、

顔も原型をとどめないほどグチャグチャにされ、

加害者には当たり前のように執行猶予がついて、

晴れて笑顔で日常生活を続けることができる。

 

そんな世界は絶対に受け入れるつもりはない。

 

それが遺族活動のすみっこにつながっていたり、

こうして文章を書き続けている私の動機です。