トシカの宿のこと(7) | 木工房とんとんのブログ

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仕事のこと、院長の趣味(風景写真・木工)のことなど日常のつれづれを思いつくままに書きますね。

(7)

 朝六時、起床。近くの農家に生乳をもらいに行く。この民宿のいつもの習慣らしい。俺たちも乳しぼりを見に行く。他に女の子達四人が一緒である。

 

 昨日の雨は上がり、少し霧が出ている。空を見上げればきりの切れ間にかすかに青い空が見えている。昨夜の出来事はまるで夢の中のように今日は絶好の日和のようである。農家が遠くに見えている。7,800mほどはあるだろうか。近道をするため牧場の中を通っていく。昨夜の雨の名残の梅雨が、朝の明るい空の光を集めて輝き、布地のスニーカーはその露を吸い込んで我々の足を冷たくさせる。2,3頭の牛がすでに放牧され、思い思いに青尾草を食んでいる。静かな朝である。風もなく空気はひんやりとして自然と我々の胸を大きくさせ、眠気などいつの間にか感じなくなり昨夜の騒動など忘れさせてしまう。

 

 農家の畜舎に着き、乳しぼりを見る。老夫婦が一心にやっている。うまいものだ。やってみないかと農家の人が言うが誰もやろうとはしない。あの生暖かそうな、青筋だった乳房に触れることすら考えるだけでも躊躇してしまう。

朝食はパンである。農家でもらってきた牛乳を飲む。先ほどの牛の乳房からほとばしり出る父の光景を思い出すと少し躊躇したが、飲んでみると少し匂いはあるが意外といける。お代わりまでしてしまった。

 

 食事中に昨夜の話が出る。女の子たちは大笑いをしながら聞く。あれだけの大騒ぎだったのに彼女達は何も知らないのである。旅の疲れでよく眠っていたのだろう。またその騒ぎの張本人も朝まで知らないで眠ったのだ。あれだけの大きな鼾を掻いて眠っていれば無理もないのだが・・・

 

 食事がすむと他の人たちはすぐに出発するらしい。汽車の発車時間がギリギリなのだと言う。駅までは10分以上かかるだろう。例の帽子の男に駅まで荷物を運んでやってくれと頼まれて快く引き受ける。

 

 駅に着き、彼らの荷物を降ろして暫くすると彼らが息を切らして駆けてきた。汽車はすでに構内に入っている。記念写真を撮りたかったがそんな暇はない。挨拶もそこそこに改札口で見送る。

宿に帰るとYやMが宿の男二人と外に出て騒いでいた。男たちがなにか台らしき物を家の前まで運んでいる。

「おい!もうじき来るぞ。」

と男が俺達に向かっていう。

「なにが?」

「あいつらの乗った汽車、もうじきあそこを通るから見送るんや。」

と言いながら顎でその方向を指す。どうやらいつも泊まった客をここから見送っているらしい。その方向を見ると、すぐに汽車の音がしてきて、はるか向こうに汽車が見え隠れしてくる。そしてやがて100メートルぐらいのそばを通るのであるが、すると、男たちは先ほど運んできた台に飛び上がり、いきなり大声で叫びだした。

「アホー!バカー!死ネー!死ネー!」

「もうー来るなぁー。」

 

 これにはさすがの俺達もたまげた。両手を挙げて思いっきりその手を振り、そしてありったけの声を振り絞って思いつく限りの罵声を浴びせかけるのである。汽車のものも気づいたのか、窓から顔を出して盛んに手を振り何か叫んでいる。多分こちらの言ってることは聞こえないのだろう。彼らは笑顔で何か言っているらしいがなんといってるかはわからない。さよならぁとか、元気でねぇとかありきたりの言葉を並べているのだろう。が、こちらはアホ、バカ、シネーとか言ったような罵声ばかりなのである。

 俺達も負けじと一緒になって大声で叫び手を振る。しかし俺たちのは男達のそれとはまったく迫力がない。

 汽車は行ってしまった。辺りはいっぺんにその本来の静けさを取り戻す。すると男達は何事もなかったように台から飛び降りるとその台を片付け、家の中に入って自分の仕事に戻るのである。

 

まったくたまげたという表現が当を得ているおかしな『トシカの宿』であった。

 

終わり