トシカの宿のこと(2) | 木工房とんとんのブログ

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仕事のこと、院長の趣味(風景写真・木工)のことなど日常のつれづれを思いつくままに書きますね。

(2)

 この旅行の計画が始まったのは、大学の2回生の中ごろ、確か十月頃だと思う。誰からともなく『3年の夏には北海道へ行こうな。』ということが言われていたのだが、それが3回生になった四月頃、本格的な計画を練り出したのである。

 五月頃にもなると北海道の地図を買って来て、毎日勉強の合間に、いや、勉強などそっちのけで授業中にもコソコソとひろげたものである。

 

 車で行くことは決まっていた。車は俺の親父の車、バイオレットを借りることにする。往きは、舞鶴から小樽までフェリーに乗り、帰りは陸路ということになった。普通は反時計廻りの方向に廻るのが多いらしいのだが、俺たちは時計廻りで行くことになった。

 

 小樽より増毛に向かい、そこで一泊、そして稚内で一泊、利尻島にわたり一泊、翌日最北端の地宗谷岬経てクッチャロ湖でキャンプ、刑務所で有名な網走でキャンプ、そこより内陸の層雲峡に向かい、大函で二泊(ここでは洗濯する予定で2泊することになっていたのだがその当日に計画変更になった。)、そしてまた、少し網走方向へ戻り屈斜路湖キャンプ、河寒湖、摩周湖などを見て回り野付半島でキャンプ、釧路を経て帯広で一泊、襟裳岬でキャンプ、支笏湖畔で二泊のキャンプ、洞爺湖で一泊、函館近くの大沼でキャンプ、そして翌日青函連絡船で北海道を離れる、という道内二週間の計画であった。

 

 しかし、この計画、北海道の夏は予想外に寒くてキャンプは二泊だけ、また色々とあって予定のその日その日になって変更され、予定通り進んだのは最初の三日だけなのである。

 

 次に何を携行していくかということなども綿密に検討され、テントだけは一万二千円で出し合って買い、他のものはなるべく出費を避けるため家から持ち寄ることにした。フェリーの乗船券は予定の日が買えなくてはと思い、早くから買ってあったが授業が二日ほど延びることになりひどく慌てさせられた。しかし、予定より二日後れであったがうまく買えたのは幸運だった。こんなこともあり、いくつかのトラブルもあったが何とか準備もそろい、かくて我々はまだ見ぬ地へと心を移しながら、7月3日出発するのである。

 

(3)に続く