塾長は、ほぼ毎日ブログを書いています。
そうすると、
「毎日書くのはすごい。」
「ネタはどうやって探してるんですか?」
と言われることが多々あります。
子どもたちから聞かれたらこう答える。
「人は、同じようでいて、1日1日が違う日なんだから、似たような毎日にも、必ず違うことがある。 それを意識しているかしていないか、の違いで、書くことなんて案外あるものだよ。 だって、家族や友達とは毎日話してても、全く同じ会話なんてしないでしょ?」
と。
ただ、これは少しきれい事です。
書くことが、
なーんも
思い付かなくなる時は月1位で、ある。
焦るし、時間もない。
それでも、やっぱり昨日と今日は違くて、子どもたちや保護者様と話し、経営者仲間と会食やNPO活動なんかをしていて会話をすれば、
『あ、今日はこんな話したな。 新しいことを知ったな。』
とかは、いくらでも出てくる。
個人情報なんかの話には配慮しつつ、それに対して自分が思うことを、
“できれば、『読んで良かった』と思えるような視点”
で書く。
なんのことはない。
ただ、徒然なるものを、書いているだけ。
私の中では、みんなの日常の“会話”が、このブログになっているだけ。
相対している時の話だって同じこと。
つまらない話を聞かされるのは誰だって退屈。
だから、少しは話に強弱を付けたりする。
それを目の前の人に声で発するか、多数に言葉で伝えるかの違いだけ。
私は芸能人でないのはもちろん、有名人ですら無いから、炎上も起きないし、気楽なものです。笑
(たまに隠しきれないブラック塾長も出てきますが。笑)
講釈が長くなりましたが、そんなこともあって、大人が、
「毎日ってすごいですね。」
と言ってくるときには、
「大したことはしてませんから。 やってみたらいいと思いますよ。」
と言う。
でも、大抵の人はやらない。
まぁ、だから、プライオリティが生まれて、“すごい”という話になるのだろう。
私は、普段あまり心を動かされることがない人間だが、一度好きだ、必要だ、と思えたことはずっと続けても苦には成らない。
父譲りの性格なのだと思うし、その遺伝子は感謝している。
逆に、お金のために、と損得勘定で割り切ってやる仕事は、ものの見事にすぐに飽きてイヤになる。
人でも同じ。
いっときは、『友達多ければ勝ち組』の思考になったこともあるが、無理して付き合って、輪を広げて・・・。
結果、人生最大の有事があった時に、相談したいと思える人が居なくなっていた。
(気付けたからこそ、ということもあるが、)
私はやりたいことをやる。
やるための覚悟も、かっこ悪いところも見せる。
周りにいる人も、そのほうが楽しいと気付いたから。
だから、私はこれから海外に行ってきます。
初めての土地で、新しい出会いと経験を得て、また子どもたちに伝えていきます。
あ。
流石に、間違えないと思いますが、非徒然日記、なんて無いですよ生徒諸君!
もちろん、徒然日記、なんてのも。
徒然草(つれづれぐさ)は、吉田兼好(兼好法師)が書いたと言われる随筆です。
徒然とは、やる事がなく暇であること。とか、平凡な。という意味です。
最後に。
非凡はつくれる。