ちょうど半年目の
7月11日に、

妹と一緒に
母と私達の恩人である
T整形外科のT先生に
お礼を言いに伺った後、

私は
「私が母の為に
しなくてはならない事は
とりあえずこれで
全部終わった…。」と、

肩の荷が
やっとおりた気持ちで、

一抹のさみしさと共に
大きな充足感と達成感に
包まれていました照れ


上のブログにも
書いていますが、

母が末期がんになり
在宅で介護した事と
看取った事は
とてもとても悲しく
辛い事だったけれど、

その反面、

私はあの一連の体験を通じて
自分の人生が大きく
バージョンアップした気がして
ならないのです。


私は、
母の介護から
看取り全体を通じて、

生まれた時から今まで
すべてのいけとしいけるものから
祝福され、
守られ、
愛されてきたのだ、

だからこそこの世に
存在しているのだし、

私も他の人も
みんな愛で
出来ているのだ、という、

なんだろう?

うまく説明出来ないけれど、

法悦に近い
強い多幸感を
悲しみや苦しみと共に
ずっと感じていました。


終末期の頃、

がんが進行して
脳の転移の影響で
足も手も動かせなくなって
首も動かせなくなって
食べ物も水も
飲み込めなくなって、

ちいちゃくなって
まるでママー人形みたいに
お布団に寝かされて
目だけがくりくり動いて、

2つの瞳がキラキラと
確かに生きている輝きで
光っていて、

私をまっすぐに
澄んだ目で見つめている
母のことが、

私はまるで
私が生んだ子のように
可愛くて可愛くて
愛しくて
たまりませんでした。


そんな、
赤ちゃんのような母に
思わず話しかけたり
抱き締めると、

まるで噴水がほとばしるように
母への愛情が
胸いっぱいに満ちて
吹き上げてきて、

脳天から足先まで
痺れるような、

うっとりするような
幸せな感覚が
いつでも私の体中を
満たしました。


それは、
長男をこの手に
初めて抱いた時と同じ、
極めて甘美な体感でした。


私を初めて抱いた時
母もこんな風に
感じたんだ…と
はっきりわかりました。


母が亡くなった日、

キラキラと濡れて光る
母の綺麗な瞳を
見つめながら、

もはや他にはもう
私は母に何も
してあげられる事がないから、

私は母の手を
しっかりと握りながら、

生んでくれた時から
今日までの
思いつく限りの記憶に、

ひとつひとつ
ママ、ありがとうと
お礼を言い続けました。


母にありがとうを
言い続けていたら、

母に感謝して
祝福しただけではなくて、

私は私の存在も
同時に祝福しているような
気持ちになりました。


究極の不幸と言える瞬間に
究極の愛と感謝を
受け取れるなんて
思いもしませんでした。


私はあれからというもの、

いつでもあの愛の感覚を
身の内に熱く強く
思い出せるように
なりました。


そんな私にもはや
怖いものなど
あろうはずがありません。


T先生にお礼を言った翌日、

夫の母が緊急手術を
受けるという知らせを
ラインで受け取った私は、

手術前の夫の母に
励ます言葉を
送り続けているうち、

お母さん、
大好き、

お母さん、
元気になって、

お母さん、
会いたい、と
柄にもない愛の告白を
繰り返していました。


もうこれでまる2日
夫の母からラインが
返って来ないということは、

夫の母が私の母のように
スマホ操作が
出来なくなったか、

夫の母がスマホを触れないほど
具合が悪いのか、

どちらかなのです。


お母さんのこと、

大好きなんだって
本当の気持ちが言えて、
良かった。


私は本当は
お父さんとお母さんから
夫や夫の妹みたいに
愛されたかったって、

そんな甘えた事を
思っちゃっても、
いいんだよね?


愛されなくても
愛しても
いいんだよって、

ずっとすねてた自分に
言ってあげられて、

自分の本当の気持ちに
素直になれて、
良かった❗️


どうか、
お母さんとまた話す事が
出来ますように❗️🙏