京極堂シリーズも読んでいるのですが、なかなか終わりそうにないのでこちらから。

 

過去投稿でうつっぽくなったり何やあったのは読めるかと思いますが、

チェックリスト見てて「ADHDでは?」と自分について思うときがあったり

そうでなくても諸々困ることとかがあり

(例:昔から「主語抜きで話すな」「話が飛んでる」「集中すると声聞こえてない」と言われてた)

Twitterでこの方の発信してることが非常に理解できることや目からウロコ事象が多く

それで本出されたら買うしかあるまい、と購入。

やや町外れに住む引きこもり主婦でも本が買えるのだからAmazonは偉大。

 

閑話休題。

この本ですが、まず発達障害の種類を細分化しなかったので、

結果として「それっぽい人なら誰でも」応用できる仕上がりになっています。

文中にもあるけれど、ADHDとASDとを併発(て言い方正しいのだろうか)してる人は多いし

どっちがどの程度、て千差万別なので、この区別つけなかったのは良いと思いました。

そうでないと、ADHD向けのとこだけ読んでわからん、とか使えん、とかなる可能性も高いですしね。

 

発達障害の方が問題抱えやすいところへの対策が書かれているのですが、

個人的に秀逸な着目点が多いと思われたのが【人間関係】

一番伝えたかっただろうし大切だなと思われたのが【生存】

と私としては感じました。

 

まず【人間関係】なんですが、人間関係がトチりやすいって困りごとの上位に入るときって

「何でこんなアホみたいなことやらないかんの」ってまさに「茶番センサー」が作動した結果なんですよね。

茶番を馬鹿にした態度を取る、もしくは変に入ろうとして上手くできなくて自己嫌悪、

のどちらかが多い身にとってみれば、この茶番に対して、自分の意識が上手く入るための

インターフェースとなる言葉選びって非常に重要です。

発達障害でなくとも上記でトラブる人は大体

「やるのが常識」

「普通はできるもの」

「やらない奴は礼儀がなっていない」

みたいな言葉は散々言われてるしそれが聞けないしその仕組みがわからなくて困っているわけです。

 

その点、まず「見えない通貨」という発想を導入して

顕在化されていないものに理屈をつけ、インターフェースを工夫して

「茶番が見えるのとできるのは別」

「繰り返すことでできるようになる」

と言葉選びで最初からできない人が茶番に参入するハードルを下げる

というのは大変良い変革方法だなというのが読んでみての所感でした。

 

また、【生存】については

生存の価値に理由をつけると落ちたときによりひどいことになる

って何のレバレッジだよって思うような内容でしたが確かにそうで、

発達障害の方(そうでなくても生きづらいと思うような人たち全般)

ほっといてもアップダウン激しい人生送ってる(ダウンのみが激しいなんてのもある気がする)のに

わざわざ落ち幅を広げるようなことしないでおこうぜ、っていうのは大変同意するところでした。

文中で著者の方の友人にかけた言葉で私のお気に入りなのが

「(生きている)価値がなくとも死ぬ必要はない」

で、とりあえず、生きる。に舵とるためにこの考えは大切だと思います本当。

 

個々のライフハックとしては使えるなと思うものそうでないもの

そりゃ色々でしたが、方法を工夫するだけで人はこれだけ生きやすくなるのか

ということに気づける本として、おすすめです。

お久しぶりです。

一身上の都合でジョブチェンジしてたりして、大分間隔空いておりました。

まあそれは良いとして感想です。

 

 

百鬼夜行シリーズ、好きなのですが

複数の意味で重いので、1冊ずつ買ってちまちま読んでおりました。

この度『陰摩羅鬼の瑕』を読了したのでここでも感想書いてみようかと思います。

そして読み終わって早速『邪魅の雫」も密林でポチりました楽しみ。

 

冒頭の時点で既に被害者が亡くなっていることからわかる描写が始まるのですが

物語の進行上、その事件がなかなか起こらず、実際に被害者が亡くなっているところにたどり着くまでが

まあ長い、半分以上過ぎてやっとでした。

筋書き自体はそれほどややこしくなくて、とある素封家で花嫁が婚礼翌日になると亡くなっている事件が

過去4件も起こっていて、次5件目が起ころうとしている…

その事件を未然に防ぐために榎木津と(たまたま付き添いになった)関口が呼ばれて婚礼が行われて

過去の事件を知る元刑事も駆り出されることとなり、というところです。

 

このシリーズの場合、途中で京極堂がテーマとなる妖怪だったり、

核となる民俗学的な内容について語るシーンがあって、結果それが最後の憑き物落としに出てくるのですが

今回はタイトルとなっている妖怪の陰摩羅鬼については細かく語られませんでした。

舞台が再びの夏だからか、妖怪でピックアップされているのはあの姑獲鳥が多かった印象です。

また語られていたのは多くは儒教を日本で浸透させるための林羅山の策略と

結果それと結びついた現在の日本での死生観と家族観というところが終盤で大きく活かされていました。

 

とはいうものの、序盤で被害者が亡くなっている事実は明白ですし

状況等考えて犯人と状況は読者にも何となくわかるようになっています。

最後にくるっとだまし絵がひっくり返って真相がわかるような展開のこのシリーズではネタバレが早めというか何というか。

このシリーズでトリックという概念が適用できるのかがまず怪しいですが。

登場人物の概念や思い違いがどう起こったか、という「憑き物」が判明するのがこのシリーズの醍醐味ですが

そこも詳細はさておき大体はわかる構成だったのが珍しいななんて思いました。

 

検死結果で過去の被害者は情交形跡がなかったっていう「事実」と

花婿側の初夜の描写がいまいち当てはまらなくてうーん?となったのですが

こういう認識のズレはちょっとでも比喩表現使われると決定的に違ってくるのだなとわかりました。

犯人側の認識のズレで言うと、死生観に関してのズレも怖かったけれど、

個人的には家族観についてのズレの方が怖かったですね。

何よりあれだけ自分に笑ってくれたり考えを利発的に話すところも含めて愛している婚約者が

言葉通り「物言わなくなる」ってそれなら家族じゃないほうが良くない?と思ってしまうのだけれど

それはこちら側の常識なのでしょう。

原因を作ったのは犯人の父親の所業のえげつなさなので本人に責任は無いと言えばないですし。

しかし死体の処理の方法というか生物学的な本とかなかったのかあの鳥の城。

隠されるとは言っても防腐処理の方法とかどこかで読むだけで違ったりは…しないのですかね…

 

他の感想を読んでいるとそこまで死生観ズレる?と疑問になっているものがありましたが

恐らく教えてもらわないまま育つと「死ぬ」こと自体は理解しないのは仕方ないのではないかと。

よく子どもの成長ブログみたいなの読んでると、飼ってる虫とか動物とかが死んだときに

「電池入れて」って持ってくる子どもそれなりにいるようですし。

赤ん坊なんかは自分が眠りに落ちる感覚と死ぬのの区別がつかなくて泣くともいうらしいです。

大体は外からの雑多な情報で当たり前の様に知るのでしょうけれど、特殊環境で50年生活していれば宜なるかなというところです。

 

登場人物についてですが、伊庭(元)刑事の憑き物は落ちきったのかがいまいち心配です。

刑事やってた当時についての本人による回想シーン読んでると困った、というか嫌な「夫だなという印象持ちましたが

刑事としてはなかなか格好いいという。その能力家庭でも活かしていれば!と思ってしまいました。

背負っているものが相当な重量に達しているので、楽になっていれば良いのですけれども。

あと当ブログ筆者は榎木津が好きなのですが、彼との会話の噛み合わなさが一時的失明により一段とひどくて

まあ読者はイライラするったら。反面目が見えなくて自由に行動しづらいから挙動は大人しかったのが意外な姿でした。

 

事件解決後のシーンで、奥様連れてお買い物に行く様子に今年の関口の夏は無事そうかなと

少し安心することができた結末でした。

 

儒教の発想についての薀蓄シーンがもう一度読み直してみたいポイントです。

そして当ブログ筆者は邪魅の雫にさっさと手を出します。

注意

こちらネタバレ込みでの感想ですが

見た人にしかわからないようなネタバレの仕方ですので

該当作品を読んでいない方が理解できるような内容ではございません。

 

該当作品はこちらです。

「キャッチコピーが思いつかない」とやたらTwitterで話題になっていたため何事かと思い、

読んでみた当作品。

 

読む前の読書コメントで

「二周目で見え方がガラッと変わる」

といったものがあったため、数回読むつもりで挑んだのですが

最初の段階で「何が来る何が来る」とそわそわしていた予感のようなものが

二周目以降は「来てる来てる」というぞわぞわしたものに変わったといいますか

わかった後により薄気味悪さを各所から感じられるような作品でした。

 

さて、ネタバレ含めで感想書きます。

Facebookで昔の知人を見つけて思わずメッセンジャーを送った50代男性の

メッセージから話が開始されますが、

長々と書いてしまうところや「ストーカーではありません」と

自分で言ってしまうあたりの痛さというか

予防線の張り方がより危なく感じられるのはおかしな点ではないというか

こういうオッサン、いますよね。というくらい。

 

自分の中では貴方はあのとき(相手の女性が結婚式場に現れなかった出来事)

に死んでいる、と勝手に言っておきながら

いざ返事が来ると相手の現在の苗字を知りたがったり住所を知りたがったり

未練たらたらじゃないかと思えるあたりは一周目の嫌悪感でした。

 

お互いのやり取りの中で昔の印象的な出来事の答え合わせが

なされるシーンは唯一懐かしさが伝わるようでほっとしたものの。

所々で挟まれる男性の警察への苦手意識、これ、何なんだろう?

そして自分が相手と立場が変わって夢を見るという結婚式の出来事で

何故、この人は息を潜めているのか?

結婚式からの脱走ってもっと颯爽と逃げていくものでは?

細かいひっかかりが少しずつひっかかりながら物語は終盤へ。

 

かつての許嫁との離別のくだりから、一気に物語が不穏になっていきます。

男性の語り口では、裏切られたあたりから自分の人生がおかしくなり始めた

という文脈ですし、周りから隠されていた真実を発見したことを語り始めますが

取っておいていた元許嫁の不義の証拠を「警察に押収された」?

ここでも出てくる警察。うっすら何かわかるようではっきりとわからない嫌な感じ。

 

それにしても家庭の事情で風俗で働いていたことについて

知りながら知らないふりをして付き合うのはわかるにしても

「許すと決めたのです」の尊大っぷりと言ったら。

周囲の出来事を許してあげられる立場に自分があるという

無意識での上から目線、というのが感じられてまた別の嫌悪感。

 

しかし真実が全て明かされた、というか

男性の目線では決して描かれなかった面が女性の最後のメッセージで

ぱっ!と出てきたときの衝撃たるや。

嫌悪感の正体がわかったある意味のカタルシスは

タイトルの「ルビンの壺」の別の見方が浮かび上がり

気づいた後には戻れないというショックと共に得られるものでした。

 

性犯罪による逮捕で世間から隔離されていて、出所後初めてPCに触った男性

自分が結婚までしようと思った男性が幼女殺害の犯人という真実を知り

何も言わずに挙式当日姿を消した女性。

脱走後逃げ隠れるように暮らしていた女性に対して、

自分の人生を狂わせた人として明言してしまう男性は

空気が読めないオッサン、でなく狂気の殺人者でした。

 

相手に自分の人生を狂わされてしまったと思い込み

出所後、危害を加えにいった幼女殺害の犯人

ということがわかってしまった今となっては、

話の序盤のメッセージすら恐怖の塊に変貌しました。

何故、苗字や住所を知りたがったのか。

男性の方では執着と怨念の区別はもうついていないのでしょうけれども。

 

男性がメッセンジャーを最初に送信した際の狙いなど

考えれば考える程ぞっとしてしまい

ここにも!ここにも!と男性の執着の欠片が見えるようで

悪寒が止まらない二周目となりました。

 

ミステリーでは決して無い(トリックがないため)のですが

この嫌悪感に耐えられる人は二周目は必読かと。

 

キャッチコピー募集期間中にもう何度か読んでみようか、と思える作品でした。