お久しぶりです。
一身上の都合でジョブチェンジしてたりして、大分間隔空いておりました。
まあそれは良いとして感想です。
百鬼夜行シリーズ、好きなのですが
複数の意味で重いので、1冊ずつ買ってちまちま読んでおりました。
この度『陰摩羅鬼の瑕』を読了したのでここでも感想書いてみようかと思います。
そして読み終わって早速『邪魅の雫」も密林でポチりました楽しみ。
冒頭の時点で既に被害者が亡くなっていることからわかる描写が始まるのですが
物語の進行上、その事件がなかなか起こらず、実際に被害者が亡くなっているところにたどり着くまでが
まあ長い、半分以上過ぎてやっとでした。
筋書き自体はそれほどややこしくなくて、とある素封家で花嫁が婚礼翌日になると亡くなっている事件が
過去4件も起こっていて、次5件目が起ころうとしている…
その事件を未然に防ぐために榎木津と(たまたま付き添いになった)関口が呼ばれて婚礼が行われて
過去の事件を知る元刑事も駆り出されることとなり、というところです。
このシリーズの場合、途中で京極堂がテーマとなる妖怪だったり、
核となる民俗学的な内容について語るシーンがあって、結果それが最後の憑き物落としに出てくるのですが
今回はタイトルとなっている妖怪の陰摩羅鬼については細かく語られませんでした。
舞台が再びの夏だからか、妖怪でピックアップされているのはあの姑獲鳥が多かった印象です。
また語られていたのは多くは儒教を日本で浸透させるための林羅山の策略と
結果それと結びついた現在の日本での死生観と家族観というところが終盤で大きく活かされていました。
とはいうものの、序盤で被害者が亡くなっている事実は明白ですし
状況等考えて犯人と状況は読者にも何となくわかるようになっています。
最後にくるっとだまし絵がひっくり返って真相がわかるような展開のこのシリーズではネタバレが早めというか何というか。
このシリーズでトリックという概念が適用できるのかがまず怪しいですが。
登場人物の概念や思い違いがどう起こったか、という「憑き物」が判明するのがこのシリーズの醍醐味ですが
そこも詳細はさておき大体はわかる構成だったのが珍しいななんて思いました。
検死結果で過去の被害者は情交形跡がなかったっていう「事実」と
花婿側の初夜の描写がいまいち当てはまらなくてうーん?となったのですが
こういう認識のズレはちょっとでも比喩表現使われると決定的に違ってくるのだなとわかりました。
犯人側の認識のズレで言うと、死生観に関してのズレも怖かったけれど、
個人的には家族観についてのズレの方が怖かったですね。
何よりあれだけ自分に笑ってくれたり考えを利発的に話すところも含めて愛している婚約者が
言葉通り「物言わなくなる」ってそれなら家族じゃないほうが良くない?と思ってしまうのだけれど
それはこちら側の常識なのでしょう。
原因を作ったのは犯人の父親の所業のえげつなさなので本人に責任は無いと言えばないですし。
しかし死体の処理の方法というか生物学的な本とかなかったのかあの鳥の城。
隠されるとは言っても防腐処理の方法とかどこかで読むだけで違ったりは…しないのですかね…
他の感想を読んでいるとそこまで死生観ズレる?と疑問になっているものがありましたが
恐らく教えてもらわないまま育つと「死ぬ」こと自体は理解しないのは仕方ないのではないかと。
よく子どもの成長ブログみたいなの読んでると、飼ってる虫とか動物とかが死んだときに
「電池入れて」って持ってくる子どもそれなりにいるようですし。
赤ん坊なんかは自分が眠りに落ちる感覚と死ぬのの区別がつかなくて泣くともいうらしいです。
大体は外からの雑多な情報で当たり前の様に知るのでしょうけれど、特殊環境で50年生活していれば宜なるかなというところです。
登場人物についてですが、伊庭(元)刑事の憑き物は落ちきったのかがいまいち心配です。
刑事やってた当時についての本人による回想シーン読んでると困った、というか嫌な「夫だなという印象持ちましたが
刑事としてはなかなか格好いいという。その能力家庭でも活かしていれば!と思ってしまいました。
背負っているものが相当な重量に達しているので、楽になっていれば良いのですけれども。
あと当ブログ筆者は榎木津が好きなのですが、彼との会話の噛み合わなさが一時的失明により一段とひどくて
まあ読者はイライラするったら。反面目が見えなくて自由に行動しづらいから挙動は大人しかったのが意外な姿でした。
事件解決後のシーンで、奥様連れてお買い物に行く様子に今年の関口の夏は無事そうかなと
少し安心することができた結末でした。
儒教の発想についての薀蓄シーンがもう一度読み直してみたいポイントです。
そして当ブログ筆者は邪魅の雫にさっさと手を出します。