【過去と過去を恐れる私とを連れて生きていく】 | そのままの私に戻るまで

そのままの私に戻るまで

摂食障害のおかげで気づいた生きづらさ。

自分と仲直りしよう。

日々の気づきや心が動いたことなどを書いてます。


「良くなりたい」と思えば思うほど

過去の「良くなかった」私が
足を引っ張る感覚があった。

エゴキンマンとわかりながらも
その声を振り切ることはできなかった。

過去の私が「忘れないでくれよ」と叫んでいるような気がした。

生きるために過食嘔吐をし

生きていることを確認するためにリストカットをし

必死に生きてきたあの頃の私。

あの時の悔しさ、痛み、辛さ

その過去を恐れていた。

というよりも、
またあの頃のようになってしまうことを恐れていた。

だから、そうならないように学び

そうならないように望みを出し

そうならないように

そうならないように

暮らしてきた。

「そうならないように」は

いつしか

私の中で恐怖を膨れ上がらせた。

現実は良くなっているはずなのに

どんどん変化しているのに

こわかった。

「いつかまた何かのきっかけで
あの頃の闇に戻ってしまうのではないか。」

その恐怖から逃れるために知識を入れ、実践をしていた。

表面上は良い気分、楽しい気分

だけれど、

私の奥深くでは恐れが肥大していた。

だから、なぜか苦しかった。

その苦しみは、
私が過去を恐れるあまり、
わたしをその過去から引き離そうとすることで
どんどん膨らんでいった。

大切な子が
「あそこに地獄があるの!こわいよー!」
と叫んでいたら
それを安心させるのは
天国へ連れて行くことではない。

天国へ行ったら
あの場所はやはり地獄だったと
やはり逃げなければならない場所だと認めることになる
そして恐れはなくならない。

逆だったんだ。

あそこに行ったら大変なことになるよ!と怖がりおびえる子がいるならば、「大丈夫よ。よっしゃ!一緒に見に行ったるわ!」と連れ立って地獄を見に行くことなのだ。

そして、地獄に行ったとしても
「またいつでも戻ってこれるよ」
「だから大丈夫なんだ」ということを体験させてあげることだ。

私のマントラ
「またあの頃みたいになってもいい」

「またあの頃みたいになってもいい。どうせ戻ってこれるし。」

これは
わたしの
過去との戦いが終わりを迎える
きっかけになった
大切な記念日

忘れぬように記録しておく