なんと、昔のあじさい荘をご存知な方で、その当時のことをご自身のblogにUPされてましたので、ご紹介させていただきます。
ボクの父親は長崎市の出身で、そのまた父(祖父)も長崎市に住んでいました。
老人ホームの住み込み管理人を夫婦で行っていて、夏休みや冬休みになると各地より孫が集まり、凄い賑わいました。
浦上駅より歩いて程近い地域にあり、休みになると兄と二人だけで、または自分ひとりで電車(汽車って言ってましたねw)を使って祖父母のもとを訪れていました。
老人ホームとは言っても、施設内に楽しみどころは多く、風呂は当然一般家庭より大きく、幼かった僕たちにはプールにも思える感覚でした。
大勢泊まるときには図書室(といっても畳の広い部屋)に布団を敷いて寝たり、2階に体育館みたいなホール(こちらも床は畳)があり、子供たちにとっては格好の遊び場でした。
トレーニングルームもあり、自転車や電気イス?見たいなものもありましたね。当時では珍しかったと思います。
祖父は原爆の時に爆心地に近い場所で被爆し、奇跡的に足の骨折程度ですみ(実際はそんな簡単なものではないでしょうけど)、平成8年まで健在でした。
恐らくは、祖父母夫婦が管理人として住んでいたのは昭和40年代から昭和50年代の終わり頃までのわずかな期間なんでしょうが、幼少年期にそこで楽しい思い出を作ってきボクにとってはエライ長い期間に思えます。
近隣や街中もよく連れて行ってもらいました。外人墓地や片足鳥居なんて本当に懐かしいです。
町並みも佐世保市と違った、路面電車も走っているし、スケールの大きい感じがしました。
施設内から見える、山頂付近に電波塔が立つ稲佐山が見える風景は、故郷佐世保の街中から見える烏帽子岳の風景と酷似して不思議な感じがしました。
これは片足鳥居で撮った写真ですが、説明がないとわかりませんね。
そしてそんな思いを浮かべながらノスタルジアにふけっている今日この頃、グーグルーマップのストリートビューで付近を探っていたら、現存しているどころか、道路沿いにある昔と殆ど変わらぬ風景が確認できて凄いびっくりしました。
施設名を彫った石板の文字にに指を突っ込んで遊んでいましたがそれまで確認できました(笑)
さらに、同施設名をインターネットで検索すると、現在の所長さんがブログを立ち上げてくれていて、施設内の写真も数々UPされていました。
驚いた事に、改装はされているようですが当時のままのイメージのところが多く、基本的には昔とそんなに変わっていなかった事に感動しました。
この感動を、感謝を伝えたく、ブログにコメントを入れると、管理人さんご本人よりご返答いただき、本当に感動しました。
今後も、お年寄りたちに楽しい憩いの場を提供していただけるように頑張っていただきたいと思います。
長崎市で一番古い施設みたいですが、出来るだけ長く存続させていただきたいです。
最後に施設内で撮った当時の写真を…昭和51年(1976年)の正月、ボクは小1かな?
現在では44歳の立派なオジサンです。
もう随分前(36年前)の写真なので特に修正は加えません。
祖父と孫(ボクは右下)
ボクの両親と兄
施設はまずちょっとした坂道があり、その上に建物があります。
写真はその坂を上りきって右側、建物で言うと左側部分に当時の管理人室があり、その前で撮影しています。
久しぶりに感動する出来事でした。
施設所長さん、もしご覧になっていたら、本当にありがとうございました。
Yamaさん、本当にありがとうございました。