大阪府易道協同組合の夏の宴の偶然で知った母との思い出。 | くみちゃんの(日宣妙苑/ヒムラミョウエン)ひとりごと

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新たに引越ししてブログはじめました。皆さんどうか宜しくです。

皆さんこんにちわ。

今日も命式検証例ではありません。

また、ふと感じた事を挙げておきたいと思い書きます。

 

先日7月29日は

大阪府易道協同組合様の夏の宴に招待頂き

参加して参りました。

 

開催場所は大阪上本町にあるホテルアウィーナ大阪でした。

相変わらずの方向音痴の私には

グーグルの地図で道案内がないと

ほとんどどこをどっち方面に歩いているのかさえ

おぼつかないほどの方向音痴です。

 

事前に地図を見てホテルを探しながら

熱波の道路を歩いていたのですが

そのホテルのすぐ近くに

「聖バルナバ病院」があることに気が付きました。

ここは私が64年前の10月に生まれた病院です。

 

当時の母は、長男を異常分娩で亡くし、

本人も体がボロボロになっていた時の事でした。

あきらめていた希望が再びの妊娠だったようです。

以前の悲しみが重ならないようにと

藁をもすがる思いでカトリック系の病院に

わざわざ神戸から通っていた病院と母から聞いています。

 

その願いは無事に天にも届いたようで

昭和33年の10月に

私が無事に通常分娩で生まれることが出来ました。

もうすぐ65年が流れようとしています。

 

ただ、母は、亡くした子どもが男の子だったので

私が女の子だったのがとても残念だったようで、

その後ももう一度挑戦して3年後に無事に弟が生まれました。

 

私も弟もこの「聖バルナバ病院」で生まれました。

母がよく当時の思い出を語っていたことを思い出しました。

昨年、結局病床になるまで思い出話もなにもできずに

母とは本当に一生で最後のお別れになってしまいました。

 

この事に気が付いたのも

何か母が私に伝えたかったことが

あったのではないかと感じました。

 

本当にいろいろな意味で苦労して願った妊娠と出産。

その後、無事に生まれてこれた私と弟。

毎日無事に出産できることを祈っていたと言っていました。

 

そんな思いの中で生まれてきた事を

真剣に考えたことはなかった気がします。

昨年10月、母は天に召されました。

 

そんな母の思いが詰まった病院の

すぐそばのホテルで今回イベントがあったことも

何かの意味があったのだと思います。

 

大きな夢を持っていた母に

私は考えてみたら

親不幸なことばかりしてきた人生だった気がします。

 

自分の生きたいように自分で決めて生きてきましたが

あれこれ頭を打つようなことばかりで

さぞかし心配をさせたかと思うと

本当に申し訳なく思います。

 

ですが、すべてそれが失敗であっても

自分で決めて起こした行動なので後悔はしていません。

母にそれだけをきちんと言っていなかった事を

今、言っておくべきだったと思っています。

 

今は平和で静かで小さな幸せの中で生きています。

色々な悲惨だった過去があるから

何事も普通で普通に感謝できる人間にもなれました。

母にもう大丈夫だから安心してと

手を合わせお経をあげさせて貰いました。

 

偶然が引き寄せる必然。

何かを感じ取ってその都度感謝することって

大切なことではないかと私は思っています。

 

周りも人も流れは変わっていくけれど

それぞれの人の歴史には

思い出の財産が重なって1セットなのだと思います。

 

まだ変わらず残っていた「聖バルナバ病院」

どこの医者にも匙を投げられて

通常分娩は無理と言われた中で

きっと夢がかないますよと

唯一、絶望に淵から母を救って希望をくれた病院です。

その病院のそばまで行く用事が出来たのも

神の導きではないかと思います。

 

今更ですが「聖バルナバ病院」に

心から感謝したいと思っています。

私を生んでくれた母と奇跡を起こしてくれた

「聖バルナバ病院」に心から感謝したいと思います。

本当にありがとうございました。

 

本日も最後までお読みいただいた

あなたに感謝いたします。

今日もあなたにとって素敵な良い一日をお送りください。

それではまた書かせていただきます。

 

    日宣妙苑 拝