住蓮山安楽寺の由緒での符号?!はなんの暗示なのかな? | くみちゃんの(日宣妙苑/ヒムラミョウエン)ひとりごと

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新たに引越ししてブログはじめました。皆さんどうか宜しくです。

皆さんこんにちわ。

久しぶりの更新になります。

 

今日はいつもの鑑定例ではなく、

少し気になる話があったので

私が個人的に書き留めておきたいと思い

書かせていただきました。

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夏至の昨日、6月21日

この日、石の語り部「須田郡司」さんの

3年ぶりの関西講演がありました。

会場は、京都の左京区鹿ケ谷にあります

住連山安楽寺でした。

以前にもこの会場で

「須田郡司」さんの関西講演があったので

一度は行ったことのあるお寺ですが

なぜか最寄りのバス停を降りてから迷いに迷って

時間ギリギリに

ようやくたどり着くことが出来ました。

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この日は最初に安楽寺産の住職さんのほうから

このお寺の由来のお話がありました。

画像は、本堂に安置された阿弥陀如来像。

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住連上人安楽上人

唐の善導大師の「往生礼讃」に譜曲を附し

六時礼讃声明を完成させました。

 

両上人の声明は誠に美しく参詣者の中には

出家して仏門に入るものもあったそうです。

 

その中に、後鳥羽上皇女官として仕えていた

容姿端麗で知識豊富な

松虫姫鈴虫姫がおられました。

両姫は後鳥羽上皇から多くの寵愛を受けており

ほかの女官たちからの嫉妬は相当のものだったようです。

いつしか二人の姫は虚飾に満ちた御所での生活に苦悩し、

心の平安を求め出家を望むようになったのです。

 

後鳥羽上皇が紀州熊野に参詣の留守中

両姫は法然上人の説法を聴聞し

念仏によって救われるほか道はないと自覚され

ついに夜中に御所を忍び出て鹿ケ谷草案を訪れ

両上人の前で剃髪出家しました。

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このことを知った上皇は当然激怒。

専修面物教団に弾圧を企て、

出家させた安楽上人斬首に処され、

法然上人は75歳の高齢にも拘らず隠岐国に流罪

親鸞聖人越後国に流罪に処せられたそうです。

画像は向かって左上:住連上人、右上:安楽上人、左下:松虫姫、右下:鈴虫姫。

 

剃髪した両姫は、鹿ケ谷から

紀州の粉河寺に最初に身を隠していたそうです。

 

両姫は瀬戸内海に浮かぶ生口島の光明坊に移り、

念仏三昧の余生を送り

松虫姫は35歳、鈴虫姫は45歳で往生を遂げられたそうです。

 

両上人亡き後、「鹿ケ谷草庵」は」荒廃しましたが、

流刑地から帰京した法然上人が両上人の菩提を弔うため

草庵を復興し、「住連山安楽寺」と名付け

両上人の追善の寺としたそうです。

画像は本堂左手に安置されている法然上人像

本堂は天文年間(1532~1555)の末、現在地に本堂が再建され今日に至る。

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お寺のおおよその由緒はここまでですが

驚いたのは、松虫姫鈴虫姫

剃髪後、最初に隠れた寺が紀州 粉河寺であったことです。

 

以前にも何度か書いたことがありますが

粉河寺には、私にとっては、

いろいろな縁が繋がっています。

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私の父は日本が戦争中、まだ幼少であったので

家族はみな朝鮮に住んでいたのですが

父は和歌山の粉河寺で幼少期から高校生まで

粉河寺に預けられていたのです。

 

父の家族は戦後、朝鮮からの引き上げの時、

その引き上げ船は本国を目の前にして嵐に会い

隠岐の島近くで遭難し

父は家族とは二度と会うことはできませんでした。

 

当時大学生だったため

内地で大学に通っていた次男の兄と

五男であった私の父と

内地に仕事でいた祖父だけは助かりましたが

在家で尼だった祖母と、

父の兄弟は全員この遭難で亡くなっているのです。

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粉河寺は、私の数理学の師匠である

金沢光叡 学院長も幼少期、粉河寺の近くに住んでいて

当時,この粉河寺で幼少期の父と交流が

間違いなくあったことが

後でわかって不思議な偶然に驚いたお寺なのです。

 

昨日は夏至でした。

本日6月22日父の誕生日でもあります。

生きていれば94歳を迎えていた日です。

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粉河寺は何かと私との深い因縁を感じます。

本日は父の好きだった甘いものでもお供えして

心から父とその亡き家族皆さんに冥福を祈ろうと思います。

 

昨日、石の語り部の講演を楽しみにしていましたが

講演の前に粉河寺の名前を聞くことになるなんて

正直本当に驚きました。

 

他にも大切なことを私が忘れていないかということを

天からご先祖様が暗示してくれたのかもしれません。

 

今日まで元気で何とかやってくれたのも

ご先祖様のおかげですよね。

改めて深く感謝したいと思いました。

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世の中で身の回りに起きることは

すべて偶然ではなく必然だと改めて感じた一日でした。

 

皆様も機会があれば、ふと思い出した時に

ご先祖のお墓参りなどされてみてはいかがでしょうか。

墓参は無理でも

お写真に手を合わせて祈ってみてはいかがでしょう。

 

不思議な縁を感じながら

生前の父へ手を合わせながら

感謝したいと思います。

 

ちょっと個人的な話で申し訳ありませんが

こんなことがあった日だと記憶に残しておきたいのです。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

それではまた書かせていただきます。

 

日宣 妙苑 拝