「東洋の魔女」って知っていますか? | くみちゃんの(日宣妙苑/ヒムラミョウエン)ひとりごと

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新たに引越ししてブログはじめました。皆さんどうか宜しくです。

今日は、単なる私の日記として

ここに書き残しておこうと思いました。

 

いつもの無料教室ではありませんので

皆さま、よろしくお願いいたします。

 

今日のブログの題材になったこの画像は、

母の遺品を整理していて出てきた古いサイン色紙です。

 

この画像は「ニチボー貝塚」の

選手のサイン色紙だと思われます。

私の母の生まれも育ちも、大阪府貝塚市なのです。

 

ニチボーは、旧:大日本紡績(株)の愛称で、

現:ユニチカ(株)です。

当時は、大日本紡績㈱貝塚工場を

「ニチボー貝塚」と呼んでいたようです。

 

昭和30年代に活躍したバレーボールチームで

1964年の東京オリンピックで、

金メダルを獲得し、一躍注目され「東洋の魔女」

というニックネームがついた選手たちの事です。

 

なぜかサイン色紙が今も手元に残っていて

とりあえず汚濁や破損する前に

私が画像で取り込んで

手元に保管していたものです。

 

スキャナーがA4サイズなので少し両端が欠けていますが。

今となっては貴重な思い出の財産です。

 

私は昭和33年の生まれですから

私の幼少期の頃に

私の亡き祖母がニチボー貝塚の選手のサインを

いただいたものだと思われます。

 

Wikipediaにも

「東洋の魔女」の解説が出ています。

それによると

当時の東京オリンピック出場選手は12名で

監督は大松博文氏で、

磯部サダ ・ 河西昌枝 ・ 近藤雅子 ・

 佐々木節子 ・ 篠崎洋子 ・ 渋木綾乃 

谷田絹子 ・ 半田百合子 ・ 松村勝美 ・

 松村好子 ・ 藤本佑子 ・ 宮本恵美子  

と記載されています。

 

1961年、ヨーロッパ遠征で

「日紡貝塚女子バレーチーム」は22連勝しました。

その際、ソ連からの外電では

日紡貝塚女子バレーチームを

「東洋の台風」「東洋の魔法使い」と形容していたため、

そこから「東洋の魔女」という愛称が生まれたとの事です。 

 

一体どなたのサインなのかは私にはわかりませんが

当時、何らかの機会があって、

サイン色紙を記念に頂いたものだと思われます。

 

東京オリンピックが開催されてから

早60年の月日が経過しようとしています。

 

もう忘れかけている方も

その記憶すらない方も多いかもしれませんね。

母は「ニチボー貝塚」を

「貝塚市の誇りだ」

とよく地元の話を交えて

話してくれたことを思い出しました。

 

私もすでに還暦を超えています。

母も昨年9月にすでに旅立ち

全ては記憶の財産になってきています。

連休には娘と孫が帰郷してきます。

世代は交代していくのだという事を実感します。

 

それ以外の過去の残っているいろいろな画像を見るたびに

一緒に記念撮影した方たちは

いつの間にかすでに故人になっていて

貴重な思い出の財産となってきています。

 

若い頃は、

あまり人の死を考えたことはありませんでしたが

還暦を過ぎるとやはり日々の暮らしを送りながら

過ぎ去った楽しい思い出を思い返すたびに

普通の日常に変わりはないものの

大好きだった周りの人たちには

もう画像の思い出しかないのだと思うと

なんだかちょっと考えさせられてしまいます。

 

私は、若い頃、写真に撮られるのが大嫌いで

ほとんど自分の画像は残ってはいません。

 

40代に入ってから仕事のリストラを受けて

運命学鑑定士に転職しました。

 

仕事柄、ホームページやブログを上げるには

やっぱり自分の画像がないと

信用がなくなってしまいますから

仕方なく自分の画像を撮って上げるようになりました。

 

さすがに写真に撮られる事には

抵抗がかなりなくなってきましたが

やっぱり、画像を残しておくことも

自分の記憶を褪せさせないためにも

必要である気ような気が今ではします。

 

今年、誕生日を迎えれば私は65歳になります。

ついに、いよいよ高齢者の仲間入りです。

 

X世代(1965 – 80 年頃の生まれ)、

Y世代(1980 – 95 年頃の生まれ),

Z世代(1995 年以降の生まれ)にも分類されない

私は、その前の

ベビーブーム世代(1945 – 64 年頃の生まれ)の人間です。

それ以前の世代は

伝統主義者世代(1928 – 45 年頃の生まれ)と

呼ばれているそうです。

 

このX世代(という呼び方は

ハンガリー人の写真家ロバート・キャパさんが、

1950年代初頭に、

新世代の若者のことを「X世代」

と呼んだことから派生したそうです。

 

話は変わりますが、

近頃、よく頭をよぎるのは

この先日本はどうなっていくのだろうと漠然と考えます。

あと何年生きていられるかは不明ではありますが。

 

昨年、三頭いた最後の愛犬

ハッピー君を見送って以来、

毎朝、近所の散歩を続けるという

ルーティーンは今も続いています。

 

この頃、散歩をしながら、

この日本はこの先どうなっていくんだろうと

歩きながら考える事が多くなりました。

 

今ではTwitter、Instagram、Facebook、などは

普通にかかわっていて当たり前、

もう発信もブログやSNSに代わって

YouTube、TikTokなどの動画での発信が

もう普通に当たり前になってきています。

 

誰もがスマホを持ってネット検索など

使っていて当たり前という時代になりました。

 

Web3.0,DAO,暗号資産、chatGPT、など

新しいいIT技術が進んでくると

ほとんど使いこなす以前に

もうついていくのが難しいのではと思うこともあります。

 

使いこなすの以前に

それ自体を覚える気力がなえてきている気がします。

 

振り返ってみれば時代はどんどん進化してきていて

何とかついていくのが精いっぱいで

新しいことを覚える事が億劫になることが増えました。

でも生きている限り

生活はしなければなりません。

 

できることはできる範囲で

簡単に投げ出さずにかかわっていこうと思いますが…。

ちょっとばかり自信がありません。

 

私は、何か今までに書き残しておけるような

大きな出来事は何もなかったし

特に自慢できる事があるわけでもなく

普通に普通の幸せな時間を過ごしているだけの私です。

 

若い頃は何か気持ちばかりが焦って、

何かを残せるような人にならなければとか

何とか人とは違う事をして偉くなりたいとか

そんな欲があった時期もありました。

 

そんな中、世間の大きな荒波にもまれて

毎日の生活に追われるばかりで

暇という言葉を忘れるような生活を送っていただけに

今のような静かで何も問題がない状態になれるとは

全く想像もできませんでした。

当時は、ただ必死!という感じ。

 

今は、普通が本当にありがたいことだと

心から感謝できるようにもなってきました。

 

自分らしさを出せて生活できる事っていうことは

本当に幸せなことだと思います。

 

今ようやく、時間ができたので

少しずつ自分の身の回りを整理していて

今回の2つの画像にたどりつきました。

 

このサインをくださった

ニチボー貝塚の方達の人生も

それは様々だっただろうと思います。

 

きっと栄光の気持ちを持った当時に

ご本人たちがそれぞれに

思いを乗せてサインをくださったのだと思います。

 

このまま眠らせておくのもなんだか寂しいので

今回ブログで紹介させていただきました。

 

サイン色紙の話でもう一枚あるのでご紹介します。

 

この色紙は、当時、私が中学2年生の頃ですから

50年ぐらい前のものになりますが、

「ガラスの仮面」の漫画でおなじみの

美内すずえさんのサイン色紙も一緒にupしておきます。

中学2年の時、伊丹市から堺市に引っ越して

実家の庭のお手入れを頼んでいた植木屋さんの頭領が

美内すずえさんの実兄だということで

不思議なご縁で、

わざわざ、ご本人のサイン色紙を

プレゼントしてくださいました。

 

もう色紙もだいぶん色褪せてきてはいますが

これもとても懐かしい思い出の品になります。

 

こんな事を書く段階で

やっぱり歳なのかなと思う今日この頃ですが

静かで平穏な暮らしに感謝する日々です。

 

人にはそれぞれの生きざまがありますが

幸せの価値観も人それぞれですが

自分に合った生活、

自分に合った好きな生き方を見つけられた事も

ラッキーだったように思えます。

 

過去は過去ですが

いい思い出をしっかり記憶から消さないように

大切にしておきたいと思います。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

皆さんも自分らしい生き方を

上手に見つけて生きてくださいね。

 

それではまた書かせていただきます。

皆様に感謝。

 

     日宣 妙苑 拝