世の中の大抵のことはお金で解決する。 | アザノカタリズム

アザノカタリズム

色んなことを勝手気ままにダラダラ語ります。

お金で解決、なんて言葉は若い頃は汚いって思ってたけど

それなりの年齢になってきたら、深く頷いてしまう。

 

何故なら、人間は至極しょうもないことで揉める。

問題は大抵、金銭がらみ。

 

誰もが欲深いというわけではなく、

かなしいかな、生きることに直結してくるものだからだと思う。

 

簡単に手放せないし、あれば苦労も少ないのは事実。

 

お金さえあれば起こることのない問題ならば

お金さえがあれば解決するわけだ。

 

努力とか誠意とかで納得してもらえない事柄も

お金が、その代わりとなる。

 

 

しかしながら、ここで言いたいのは

お金があれば何をしてもいい、という話しではけしてないということ。

 

そんなことは当然、であって欲しいのだが

それがわからない人間が残念ながらいる。

 

お金があればどうにでもなってしまうので、それに胡坐をかくわけだ。

 

この世界では結局、お金という概念が人間として尊い意識を歪ませる。

それでもお金が要らないとはいえない。

 

そんなことを言えるのは、ある程度お金を手にして

それがいかに無意味なことなのかを知った人だけだ。

 

前澤さんが、お金をなくした世界について語っているのを何かで見た。

 

そんなことを考えられるのは、やはりある域に到達した人だからこそ。

それでも、すごく興味深い内容だった。

 

お金がなくても、人は自分のやるべき担当を担って動くから

お金がなくても担当=仕事が成り立つので、社会は機能するとかいう

内容だったと思う。

 

お金はツールでしかないのに、お金という概念にとらわれ過ぎて不幸になる人は多い。

 

実際、食べるものにも困るという生活でもないのに不幸に感じる人が多い。

ホリエモンが曰く、

年収200、300で不幸な生活でもないのに、SNSなどで上の生活を見てしまい

比べて不幸だと感じるからだ、という。

 

まぁ彼は結構、極論を語る節があるので

一概にそれが原因だとは言えないと思うが、たしかに

何をもって不幸だと考えるかは、収入額ではないのかもしれない。

 

でもこの社会は、裕福でなければ幸せではないという思想に溢れている。

 

事実、お金はないより勿論あった方がいい。

その考えは先述述べたとおり。

 

ただ、日々の暮らしを考えると

高級な物を食べたり、高価な物を購入できないからといって

不幸だとは思わない。

 

・・・人によるかもしれないが、少なくとも自分はそうだ。

 

ただ、生きているだけでお金を払わないといけないこの世界に

息苦しさは感じる。

 

もし、みんながお金とは関係なく生きられるなら

自分が必要だと思う働きをして、みんなが補い合いながら生きることができたら。

 

あれかな、例えるならキャンプにみんなと行って

テントを建てる人、火をおこす人、野菜を切る人、水を汲みに行く人・・・

 

ご飯を食べ寝て一夜を越すという、ひとつの目標の為に

それぞれができること、しないといけないことをするでしょ?

そこにお金は関係ない。でもみんな動く。

 

ない人は肩身狭くなるだけだし、よく動く人は支持される。

そういう心理も、人を動かすんだと思う。

 

前澤さんの言う、お金がない世界ってそういうことなんだと思う。

 

きっと人間はまだまだサルからちょっと進化しただけに過ぎないから

この考えに人類規模で到達するには、物凄くまだまだ時間がかかると思う。

 

賢い人は考えることは凄く進んでいて、素晴らしいのだけど

それを凡人が理解して受け入れるには難しく、

凡人のひとりである自分も、興味深い考えではあるけど

抵抗がないと言えば嘘になる。

 

それを我々が実際にやっていけるのか、ということにはやはり懐疑的であり

どうやってそんな世界に切り替えていくのか、やり方も想像ができない。

 

でもこういう本当に賢い人が国や世界のリーダーとして

動かしていってくれるのであれば

きっと変わるし、そう思うと人間も捨てたもんじゃない。

 

・・・まぁ、本当に賢い人は政治家とかには絶対ならないんだけどね。