さいとう・たかを、逝く | 大TOKYOしみじみ散歩日記

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お独り様となった50路男の、ぶらぶらノンビリンの東京物語

映画・マンガ・小説・芝居・テレビに動物
そして大切な母ちゃんとの想い出も時おり混ぜ合わせて

書き留めてゆきたいなと、思います

まず、この文章を…


  • 漫画家となるために実家の理髪店を辞めた際には大激怒され、以来母親は漫画と漫画家を親の仇のごとく憎悪するようになったという。さいとうが漫画家として大成した後も送ったゴルゴ13の単行本を見もせずに即刻焼却し、その挙句、死の床にあっても単行本に指一つ触れようとしないどころか視界から背け、和解を拒むなど、さいとうのことを最期まで認めず、同時に許さなかった。このことはさいとうも気にしているようで、執筆室には仕事をしているさいとうに向かい合うように亡母の写真が飾られている。
  • さいとうの兄の斎藤發司も同様で、發司がさいとう・プロダクションおよびリイド社の代表取締役社長になった後にも、子供に「漫画など読むな」と説教していたという。

Wikipediaに載せられていた、さいとうたかを先生のお母様とお兄さんのエピソードなんですが
特にお母様の激しい気性と対峙してきた さいとう先生の気持ちに胸が熱くなります


やはり大半の方は
さいとうたかを=ゴルゴ13でしょう
それで良いと思います。「ゴルゴ13」はどんなにさいとうプロの分担作業制を批判しても他の追従を許さない圧倒的なキャラクター
デューク東郷を先生が思いついた時点で名作となり得ています

私はそこに、後年の代表作として池波正太郎の江戸前を劇画に移植してくれた「鬼平犯科帳」シリーズの柔らかさも代表作へ加えて欲しいし

黒澤明が亡くなった頃に暫くして中央公論が何を思ったのか劇画で黒沢映画を再現しようと企んだ時に、まず見比べられて非難を浴びるだろう「七人の侍」を描いてしまう先生の稚気に、映画ファンならではの情熱を感じてしまいましたさらば鬼平、さらばゴルゴ13さいとうたかを死す劇画が漫画の主流であった時代を築き上げた一人が亡くなりこれで日本にはマンガはあっても劇画を描ける作家は(第一線からは)居なくなってしまった※劇画みたいな漫画を描いている作家は大勢いるリンクosanpotokyo.amebaownd.com

ほんとうに劇画を引っ張ってくださり、ありがとうございました

先生はあまり興味無かった企画だったそうですが
1983年に公開されたアニメ映画「ゴルゴ13」
私は19歳で本作を見て、初めてCGをスクリーンで見て衝撃を受けました


また一人
私を育ててくれた人が居なくなりました……