こんにちは!

オランダ在住、フリーランス

ビジネスコンサルタントの

田口歩(たぐちあゆみ)です

ブログへのご訪問、

ありがとうございます。

 

初めましての方は、こちら

 

前回までのMy historyはこちら。


【田口歩・人生まとめ記事はこちら


ヨダレだらだらで、
むっちり太りながら、

音楽とぬいぐるみに戯れて、
幸せな2-3歳を過ごした
かのように思っていました。

 

ですが、呑気に「幸せ」と思って
いたのは、私だけだったのかも
しれません。



【My history vol.2 

義母&夫 vs.妻 
~日本カースト制度での戦い~ 】


 

母から聞く子育ての話は、

いつも大変そうな話ばかりでした。

 

東京・池上で生まれた後、
父の仕事の都合で福岡・小倉に転勤。


父方の祖父母は、福岡の門司港に
住んでいたので、祖母にとっても、
小倉に住む息子夫婦はちょうど
「干渉しやすい距離」
にいたのかも。
 

父は典型的なマザコンさん。

私の祖母の「介入的干渉」を
「ありがたいこと」

「おばあちゃんが、
わざわざやってくれていること」

として受け止めており、

自分の妻にも

「おばあちゃんがやってくれて

いるんだから有難いと思え」と。

 


母からみたら

「義母&夫 vs. 妻」

という力関係が自ずと出来て
しまった模様。

これ、今でもよく聞く構図です。

なぜ世の中の一部の夫は、

妻より母を優先するんでしょう?

 

妻を「第二の我が母」にしよう
とするのは何故
なんでしょう?
マザコンだから? 
それだけ?


ここへの疑問こそ、

「私が結婚しなかったこと」、

「子どもを生まなかったこと」に
直結しているかもと、我ながら。


私は・・・

「パートナーのお母さん」

じゃないし、

「パートナーの母親に虐げられて

よい存在」でもない。

「家族」という「カースト」内の、
最下段である
「奴隷のシュードラ」
じゃあない。

 

その為の結婚は・・・
全然したくな~い!(笑)


そう、私から見えた「母」は
「日本カースト制度」における
「奴隷のシュードラ」に見えて

いたのでした。

まさかのホワイトボード図、登場。

一時期は「結婚しなきゃ」という
義務感で「婚活、婚活」と念仏の
ように唱えていた時期も
あったかな・・・??
 

ウソです。
唱えるほど何もしていません^^

結婚カウンセラーという人達にも

「結婚したい!と思わせてください」
と相談したことも。
(そりゃムリですよね。 潜在意識が
したくないって言ってるんだもん)



私には
「結婚=日本カースト制度に
入ること」

という無意識がありました。

5年も6年も付き合って

「じゃあ結婚する?」という話に
なったことは何度かありました。
 

が、「結婚」を選ばなかったのは・・・

「付き合う=愛やら恋やらで幸せ」

「結婚=日本カースト制度で
シュードラになっちゃう!」


という無意識の転換が

どこかにあり、それが抵抗と

なっていたようです。

勿論、これは全くもって
「無意識の思い込み」で
「愛やら恋やら = 結婚」
のカップルも世の中には

何組もいます。

でも「無意識」が
「結婚=日本カースト制度」と
学習していたのですね。


そして「顕在意識」的にも
「仕事に充実感を何より覚える」と
感じて生きてきました。

勿論、仕事は大変です。


ですが、試行錯誤の末に
沢山の発見がある「仕事」は、
本当にやり甲斐がある行為

だと思っています。

そんな中で、
「家事育児分担のほとんど」を
女性が担う結婚スタイルは
望んでいなかったのでした。
 

特に、小さい頃の私から見た
「母という立場」は、
命懸けで子どもを産んだのに、
「産んだ子ども」よりも下の身分。


「奴隷シュードラの
可哀想な母を、
どうにか救ってあげたい」


と思い、同時に

「お母さんみたいな
奴隷のシュードラには
なりたくない」

 

と思っていたのです。


生まれてすぐに
「祖母&父 vs. 母」の構図を
間近で見て以来、無意識下でずっと
感じていたのでしょう。


ちなみに、この「カースト制度」を
頑に維持しているのは、

男性のせいだ!なんて微塵も

思ってはいないのです。

「女性側」にも、このシステムを

維持したくてしている所は
あると思います。


というのは、
自身が女性であるにも関わらず

祖母が
「次は男の子を!」
と、自身の性である
「女性」はダメだと、
簡単に虐げられるのは、
女性側が「男尊女卑思想」を
脈々と受け継いでいるからに

他ならないから。


祖母自身も

「奴隷のシュードラ」から
「僧侶のバラモン」に力ずくで
這い上がって来たような人。

息子の嫁である母を
「最下段の地位」に
無意識に置いたのかもしれません。


ちなみに祖母を端的に表現すると、
申し訳ないけれども「超毒親」。

コントロールが大好きな、
148cmの「猛毒母」さんです。


毒になる親

 

毒親の棄て方

毒になる姑

 

の著者、スーザン・フォワードさん

に、「あのぅ・・・ピッタリの

サンプルさんがいらっしゃい

ます!」と紹介したいくらい^^

※ちなみに上記3冊、特に
「毒になる親」

「親」という役割の方、
これから「親」という役割を
担いたい方には是非オススメ

したいです。

1989年に
「毒親(Toxic Parents)」という
言葉を生み出したDr.スーザンの書は、
本質的解明力未来に向けた解決力
がありすぎて、生半可な
「自己啓発本」が吹っ飛ぶくらいの
インパクト。


是非レビューをご覧下さい。
 

 

 

そんな祖母の人生を10行くらい(?)
に勝手にまとめると・・・
 

18歳で祖父と結婚後、満州へ。

19歳で長女、20歳で長男(父)を
現地出産。
(今思うと凄いですね。尊敬です。

この若さで言葉の通じない外国で出産なんて)


田口一家は満州で材木関係事業を
していたそうですが、終戦直前に
「このままだと、シベリアに抑留
されてしまう」と判断して、
一家で敵前逃亡。
 

見事九州に逃げ帰ってきましたが、
その最中に風邪をこじらせた
長女が亡くなり、
祖母は長男(父)溺愛一筋に。
(その7~8年後位に次女(叔母)誕生)

戦争に振り回され、沢山の悔しさや、
悲しさが、祖母にもあったのだろう
と想像します。

私の印象ですが、祖母は
「相手のプライドや、
自尊心を踏みにじるような言葉を
ぶつけては、周りを蹴落として
這いあがって来た人」
で。

身近な人程、
祖母から距離を置いていった

ように思います。

私の祖父は昔、
娘(私の叔母)を連れて家を出た
ことがあり。
(すぐに引き戻されたそう)。

叔母は余程、実家が嫌だったのか、
二十歳過ぎたらすぐに、
優しくて穏やかな叔父を見つけて
結婚し、田口家を出て行きました。

私の父は出て行かない代わりに、
祖母の監視対象とされ。

父はミカン箱を机として、
正座で勉強をさせられ。
 

その隣には祖母が座って、

いつも監視。


父曰く「問題を間違えると、
ペシーッと定規で背中を叩かれた」

とのこと。

祖母は、孫の私にも十八番のように

「おばあちゃんだけが、親戚の中で
女学校行っとるんよ、凄いでしょ」
と。

「あのおじちゃんも、
このおじちゃんも学校に行ってない

のに、おばあちゃんだけなんだよ」

と。

 

孫ながらに「この人の、この敵意は
何なんだ?」と思っていました。
 

しかし、人は受けたものしか
返せません。


つまり祖母が

「敵意を持たれて、

蹴落とされてきた」

から
それを無意識に次の世代に
継承しているだけなのかと

推測しています。


だから「息子の嫁」に対しても、
「自分がされてきた過干渉」を
してきただけのこと。

「しかも善意で!」
だったんじゃないかなと。
勝手な推測ではありますが。

真意の程は誰にも分かりませんが、

そう推測すると、胸も痛いし
心から祖母にも同情します。


ちなみに祖母は90代後半へ

まもなく突入。
認知症が入るも持ち前の気の強さで
ピンピンとのこと。

現在、叔母が介護をしていますが、
叔母の方が疲れ切って
先に死にそうなほど。

数年前、祖母は車道に自ら飛び出し、
車にぶつかったことがあり。




しかし、骨も折らずに、
打撲のみで無事生還。


むしろ、
祖母をはねた車の運転手さんが
真っ青

になっていたとのこと。

叔母曰く
「運転していた男性の方が、
ショックで顔面蒼白だったんよ」
とのこと。

この「気の強さ」があったからこそ、
敵前逃亡できたのでしょう。

そして、
祖母の「気の強さ」があってこそ、
私の命がある

ことも紛れもない事実であり。

「命の連鎖」を否定するつもりは
ありません。

でも「毒の連鎖」は、
もう私達の世代でストップ
させてもよいのでは?とは
思っています。


祖母の
「カーストに従わざる
をえない時代」

があり・・・

母の
「カーストに反発して、
娘に八つ当たりする時代」

があり・・・

私の
「カーストがさっぱり理解できず、
Out ofカーストになろうと、
『日本カースト制度』から
脱出を試みる時代」

がある・・・


そう考えると、それぞれが

その時代の自分に一番適した
「生存戦略」を選んで生きただけ

のことでもあっただけで。


私は正直、祖母も母にもまだ
苦手意識を感じますが、これ位
「生存戦略」が異なったら、
理解し合えなくて当然
かと。

むしろ、
「好き・嫌い」の感情は、
「自分の生存戦略に近いか否か」
の結果

であり、

「自分の生存戦略」が変化したら、
「嫌いだった相手」を
好きになることも出来る

という風にも思っているのです。


「学生時代は嫌いだったけど、
ママ友になったら仲良くなれた」
とか、
「母親になったら、毒親の気持ちが

わかった」

なんて話は、そういうことかと。



そんな「生存戦略」の下、
たらふく食べさせられたワタクシ。

この写真(2−3歳児?)の裏側には
「洋服は既に4歳児のものです」
という母のメモが。



どう見ても食べさせすぎでは?

ですが、祖母にとっては

「食べなければ死ぬ」
だったんじゃないかなと。


「死」が毎日身近にあった人達
にしか分からない、
切ない価値観なのかも
しれないな・・・

とつくづく思います。

そして再び、福岡・小倉から、
東京・初台に転勤を。

「猛毒母」の祖母の「過干渉」が
少なくなってきて

平和が訪れたと思いきや・・・

家庭内に「毒」が次第に蔓延する
ように。


3話目にして超大作。

ブログに残したかったことの
大半はコレなので、

ブログが終わっちゃいそうです
(苦笑。多分終わらないと

思いますが…)

 

続きはコチラ。
vol.3 3歳で見つけた「安全基地」への逃避

(記事がアップされると読めるようになります)



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