身体の声を聞くをやっていくと、
嫌だけど仕方がないと思っていたようなことや、もう疑問すら感じずに受け入れてたけど、後からなんか身体が重くなるようなことが、
我慢できなくなってくる。
私は仕事や人間関係(異性関係)がめちゃくちゃ変化しました
やるしかなくなったらなんとかなるもので、
まだなんとかなってる…??レベルの感じですけど、
これをやめたら生きていかれへん
これをやってしまったら終わりや
とか思ってたことを、やったりやめたりしたのに、しっかり生きている
心身の状態は以前より健やかですこぶるいい感じである
だからね、身体だけ変えたい、
とにかく現状維持のまま楽になりたい、
って人がね、体操だけやっても多分あんまり意味が無いの。
自分で悪くしているのに、悪くする行為をやめないまま、身体だけ変えたいっていうのは無理なの。
仮に身体をリセットできたとして、新しく変えたって、
自分の身体に対する態度が変わらない限り、また同じような状態になるだけでしょ
その不都合な真実にフタをしたまま、
いや探せばあるかもしれない!って宝くじ当てようとしてるんならそれでもいいと思う
納得するまで探したらいいし、なんなら私もそういうタイプ
どの部分は良かったけど、この部分が良くなかったとか、単に失敗=全部無駄ではないから、経験として活きるし、自分がなにを求めてきたのかいずれわかる。
いつか失敗が満員御礼になって、成功する道しか残らなくなる。
私は自分らしく生きる覚悟が決まった人と出会いたいし、そんな仲間が欲しくてやっているので、
ストレスで蕁麻疹出てるとか、疲れが取れなくて栄養ドリンク飲みまくってるとか、腰やっちゃったとかいう同僚の保育士さんとかにも最初は軽く体操すすめてたんだけど、
多分仕事とか家庭とか全てとちゃんと向き合わなきゃいけなくなるけど、今既にその体力がなくてただこなしてる状態なんだろうなって思ったから、
きっとその人のタイミングで向き合う時が来るんだろうし、こちらからそんなに進めるものでも無いなって思うようになった
(私の場合、全部無理してましたからー
なんにもなくなりましたからー)
私自身、母性神話の呪いみたいなもんにこんなにも影響されていたとは驚いた。
親を尊敬できない、好きだと思えない、大切だと感じられない自分はおかしいんだと思ってた。
親以外の周りの大人たちも、みんな全然好きじゃなかった。
本当に自分は罪人なのかエイリアンなのかなんだか知らないが、緑色の血でも流れているのではないかと本気で疑った。
その罪悪感がずーっとあって、
私は誰にも愛されない、役に立たないと価値がないと思っていたと同時に、
自分の感じたままに好き嫌いを表現したり、その感覚を尊重して行動することに抵抗があった。
だから私が自分の感じたままに自分らしく生きるには、邪魔者を排除する必要がある、
母のような未熟な大人たちを駆逐しなければ、子どもたちが健全に育たないと思っていた。
そしてそれは、私はちゃんと自立した大人になれるまで、愛着障害を克服するまでしあわせになれない(なってはいけない?)という呪いにもなっていた。
でも、潜在意識の使い方、引き寄せの法則などでは先に意識を変えなければ現実は変わらない、とか、
愛が注がれたものからしか、愛は与えられないとか、
そんなことばっかり言われているので、
じゃあ愛のない環境で育ったらもう終わりじゃん。諦めるしかないじゃん
って思って、それが「駆逐してやる!」に繋がっていた。
その地獄ループの鎖を断ってくれたのが、
そもそも「愛」の概念がどうやらよく聞いたら全然違うって気付くことと、
DNAに愛された記憶が残っているっていうエピソードだった
私は幼少期、本当に親も家族も人も嫌だったので、自然や生き物動物と小さい子どもだけが心の拠り所だった
対人間で考えると絶望しかないが、生きとし生けるもので考えたら、私は身近にいた誰よりも愛を感じてきたし、愛された感覚を知っているような気がした
スクール代の返済に焦って、投資した分しっかり回収できるようになりたいってこの仕事をやっているところがあったけど、
そんな気持ちで頑張ったところで一時的に上手くいっても全然嬉しくないなって改めて思ったので、
より一層自分の感覚を大切にして、無理に好きになろうとか好きな振りをしようとするのは本当にやめていこうと思った
昔受けたチャネリングセッションで、
「誰も好きじゃないってことは、常にみんなを愛し続けてきたってことでもある」
と言われて全然ピンとこなかったんだけど、
今言われた意味が少しわかりそうな気がしてる
求められてる愛情は与えられないけど、私は私なりに愛してるとは思う。
そういえば私は他の人と「愛」の概念が違うって言われたこともあるな。。。
なんかここをもっとちゃんと大事にする覚悟ができたら、凄い変わりそうだな…
ちゃんと宇宙人らしく?自分の思う「愛」をやりきる覚悟をすればいい気がする。(怖い)