昨日なにか凄いものが発掘されそうだ、と思ったけど、怖かったので、
とりあえず明日やろ。って寝たんですけど

起きたらなんか冷静になっていたので、できそうなところから↓のワークやってみました。
「癒し」のワーク ① 自分の「魅力」を発見する
「癒し」のワーク ② 「愛されている!」と実感する
「癒し」のワーク ③ 両親があなたを愛してくれた「証拠」を探す
「癒し」のワーク ④ 誰かのために頑張った自分を、まずはあなたが認めてあげる
「癒し」のワーク ⑤ 自分の感情に「責任」を持ち、自分で処理する
「癒し」のワーク ⑥ 「御恨み帳」で、感情を吐き出す習慣をつける
「癒し」のワーク ⑦ 癒しのための最強ツール「感謝の手紙」を書く
----------
なにが怖かったのか、
なんで被害者でいたいって思ってるのか、
どうやら私は、本当に1ミリも、
親や家族に対する愛情がない
ってことに対する罪悪感だったみたいです。
最初は、愛してくれた証拠を探す、とかが
本当に愛された記憶が無いのでやりようがない。
その事実と向き合うのが辛いのかと思ってたんだけど、
本当に無いのか思い出せる限り昔の記憶を思い返してみたところ、
やはり理不尽な思いをしたことばかり思い出された。
家族のストレスの捌け口は、私とお父さんだった。私もなにか悪いことをした時に、お父さんのせいにしたことがある。
いつも自分が姉や母にされている事だったから、私もいいじゃないかと思ったのに、
それがもの凄く後味が悪かったので、それから責任転嫁はしなくなった。
なんかそういう正義感とか責任感とかが、嫉妬の対象なのかな…??
あんたみたいに強い人/できる人には、弱い人/できない人の気持ちは分からない、としょっちゅう母親に言われた

私はやるしかないからできるようになっただけだろ、あんたらのせいやろ!はぁ?
ってなってた。

私たち兄弟は中学校から全寮制の学校に入った。
その頃から「お母さんは子どもを愛せない親だから」みたいなことをふと言うようになった。
その時は何でそんなことを自分の子どもにわざわざ言うんだろう?と嫌な気持ちになっていたけど、
私も「これまでずっとお母さんの期待に添うような子どもになろうと頑張ってきたけど、どうしても無理なので諦めてください」みたいな手紙を書いて渡したことがあった気がする。
恋愛依存症を直したくて色々やっていたときに、母親と向き合うことも何度かトライして、
その時も「お互い人として気が合わないし好きじゃないのに、親子だからって無理に愛がある振りとかしなくていいんじゃない?」みたいなことを言った気がする。
愛されてなかったことに向き合うのが怖かったんじゃなくて、
私も全然愛してなかったってことを、
被害者でいれば正当化できるからそうしてたっぽい

愛してなかったというか、いわゆる一般的な親子の愛情みたいな型にはハマらないって意味だけど。
なんか私が悪いらしいと思い込むしかなかった理不尽な攻撃は、本当に相手の問題で、私が悪い訳じゃなかった。
だけど、攻撃されるのが本当に嫌だから、目立たないようにしたり、
親が変だったこととかが本当に恥ずかしくて嫌だったので普通になりたくてなりたくて、頑張って普通をやってるつもりになったり、
わたしなんて全然こんなにしょーもないですしみたいに自分を下げる癖がついた。
それで余計に自己肯定感下がって、攻撃対象になってたんだな



凄い、やって良かった

めちゃくちゃ泣いたりするのかと思ったら、
やっぱり感情の解放自体は今まで散々やってきたからもう必要なかったみたい

攻撃される理由がマジでわからんと思ってたけど、
私は本当に強かったのかもしれない。
できる人とは思わないけど、問題解決能力は高い。
あと、自分としてはそのせいで苦しかったけど、大人たちの言ってることと思ってることが違うとかを感じとる敏感さみたいなものが、他の子どもよりもきっと秀でていたのだと思う。
可愛くない子どもだと言われていた。
知らない人からも。
お母さんが影で私のことを怖い、と人に愚痴っていたのも聞いてしまった。6歳くらいだった。
私も自分の親に対して、こいつらの話をまともに聞いていたらやばいぞ、とその頃から思って、
私は誰にも頼れない、と周りの大人に基本的に心を開かなかった。
それだね、うん。
親や兄弟を愛してあげられなかったことに罪悪感があったんだ。
それを被害者でいれば正当化できた。
そして実際、誰も悪くない。
私も悪くなかったし、
お母さんもお姉ちゃんも悪くなかった。
組み合わせが悪かった。
それでも愛そうと、愛されようとお互いに頑張ったことで苦しくなったんだ。
その気持ちは「愛」だったかもね。
自分らしくいさせてあげること、それが「愛」だと思う。
自分に対しても人に対しても。
私はダサいことするのがキライだから、
嫉妬で人を攻撃したり、責任転嫁するのが嫌いだし、自分はしたくないけど、
そういうことする人が存在する限り、
自分がしあわせになれないなんて、
もっともっとくそダサいじゃん



それ、やめる。笑
全て賞賛と受け取れるくらいのマインドになる

※追記
そういえば、好きになってあげなければいけない、好きでいてあげなければいけない。
他の人と親しくなってはいけない。
みたいな謎の強迫観念があった。
全部ここから来てたんや!
これからは自由に好き嫌いを表現できる



ってなんか急になって、
それが凄く嬉しい



どういう仕組みになってたんやろ…

お母さんを安心させるためになんかやってたんやろうなー