アフガニスタン ”社会はまやかしの解釈に満ち溢れている” | 社会の裏を晒すブログ

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抜粋して転載

太田昌国のコラム : 米軍、アフガニスタンから撤退のニュースに思うこと
http://www.labornetjp.org/news/2021/0710ota

アフガニスタンの人びとは、外国軍が撤退した後に再びタリバーンが勢力をさらに拡大し、アフガニスタンを支配するのではないかと恐れている

それは、例えば、次のように現れる――駐留外国部隊に協力して通訳として働いてきたアフガニスタン人は、タリバーンの報復を恐れて、一刻も早く国外に逃れたいと言っている(毎日新聞7月5日付け)。外国軍撤退後のタリバーンの軍事攻勢を恐れたアフガニスタン政府軍の兵士1000人以上が、逃れて隣国のタジキスタンへ越境してきた(同7月7日付け)。米軍特殊部隊の元通訳で、いまは妻子と一緒に米国に住むアフガニスタン人は、タリバーンは「米軍協力者」の親族の居所を把握しており、故国に留まっている自分の両親や兄弟姉妹に何かが起こったら、それは自分のせいだと嘆いている(東京新聞7月10日付け)。

しかし米軍およびNATO軍などの外国軍隊が撤退するなら、アフガニスタンは再び大混乱に陥って、恐るべきタリバーンが復活するだけだとするこの「語り口」には大いなる欠落がある。

1.20年間続けられてきた「対テロ戦争」の本質を問う視点を欠くこと。米軍が特に無人機爆撃を多用した意味を問いただす視点がないこと。

2.タリバーン「掃討」を口実にした米軍などの軍事作戦は、貧しい民間人が住む村々に爆弾を落とし、その犠牲者数は10万人を超えると言われているが、正確にはわからないこと。つまり、アフガニスタン人の死者の数は、世界から気にかけられていないこと。しかも家族が殺された貧困層は直ちに生活に行き詰まり、タリバーンはその状況を巧みに利用するので、人びとはタリバーンに依存せざるを得ない境遇に陥るが、そのような構造を解き明かす視点がないこと。

3.世界総人口の百人にひとり以上に相当する8000万人にも登る難民・避難民(2021年度)の急増は、この「対テロ戦争」をきっかけとしていることを指摘しないこと。

他にも挙げるべき問題は数多くあるだろう。ここでは、最低限、「対テロ戦争」が始められることは、無念にも必至と考えたイランの映画監督モフセン・マフマルバフが、映像と言葉で当時表現したことを何度でも思い起こしたい。その年=2001年に、彼は映画『カンダハール』を制作し、世界中の無関心の中で「映像のない国」アフガニスタンの実像を、フィクションを混じえて描いた。他方、文章では「もしも過去の25年間、権力が人びとの頭上に降らせていたのがミサイルではなく書物であったなら、無知や部族主義やテロリズムがこの地にはびこる余地はなかったでしょう。もしも人びとの足もとに埋められたのが地雷ではなく小麦の種であったならば、数百万のアフガニスタン人が死と難民への道を辿らずに済んだでしょう」と書いた(『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(現代企画室、2001年)。

アフガニスタンからの米軍撤退のニュースのなかに、戦争の本質をこんな風に端的に描くものがないこと――この社会はまやかしの解釈に満ち溢れていると私が思うのは、そのせいだ。