「絶対に殺してはいけない」現場が声を上げた死刑囚…その最期の瞬間に待っていたもの
――死刑囚・永山則夫の実像#2
木村 元彦
太田昌国のコラム:永山則夫が処刑されたときの秘密が明らかに
http://www.labornetjp.org/news/2021/0110ota
抜粋して転載
8月1日金曜日午前、永山の死刑は執行された。坂本はその非道な最後を現場の刑務官から送られて来た匿名の8通の手紙で知ることになる。
「死刑執行後、本来は遺体を遺族や身元引受人に引き渡します。遺族らが遺骨での引き取りを申し出た場合は、火葬許可書記載の日時に拘置所は遺族らを火葬場に同行し、骨上げをさせて遺骨を持ち帰らせるのです。
ところが、永山の場合は引受人である弁護士に遺体を見せず、拘置所が葛飾区の斎場で火葬した4日月曜日に、遺骨を引き取りに来るよう通知したのです。
永山は死刑場に連行されたときは既に意識を失っていたのではないか、連行時に暴れた永山は制圧という名の暴行によって死刑執行後の遺体を見せられないほど傷つけられ、クロロホルムといった麻酔薬を使用されたのではないかと私は想像しました。永山は独居舎房を出た渡り廊下から職員に担がれて死刑場に運ばれたのです。そして意識のない永山に、処遇部長は形だけ死刑執行を告げる言い渡しをし、そのまま刑壇に上げて首にロープをかけ、床を落とした。おそらく本人は自分が死刑執行されたことも分からないままに絶命したのだと思いました。その想像はほぼ当たっていました。
私がこれらの永山の最後を知ることができたのは、後日8人の刑務官から送られてきた匿名の手紙によってです。そこには、死刑執行の様子だけでなく、死刑に対する率直な思い、例えば、更生させた人間を殺さなければならない矯正職員である刑務官の自己矛盾といったことも書かれていました。また、出世に汲々としている幹部を許せないという思いなども綴られていました。永山の処刑には多くの刑務官たちが心を痛めたのです」
"暴れた永山は制圧という名の暴行によって死刑執行後の遺体を見せられないほど傷つけられ"
具体的な、見せられないほどの損傷が想い浮かぶ
単なる制圧では無かったことも含めて